読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ウツボカズラにはじまる命の対価

 こんな夢をみた。

 

 ウツボカズラの中に落ちて、必死に外に出ようとするが当然のごとく内側に反り返った壁をのぼることなど無理な上に常に湿潤状態に保たれているのでつるつる滑って、まず壁にとりつくことさえできない。足元は膝下くらいまで不透明な液体に満たされていて、どうやら水のようだが不思議と甘い匂いがしていささか不気味だ。何度も飛び上がってみるが、頭上にある出口には手が届かない。そうこうしているうちに水に浸かっている膝下の部分のズボンがホロホロと剥がれ落ちるようにしてなくなっていった。少し足がピリピリするなと思っていたが、もしかしたらこれには消化液が含まれているのかもしれない。ということは浸かっている部分から溶かされていくということではないか!

 ぼくはさらに必死になって飛びあがり外に向けて助けを求めた。

 「はーい」
 
 間延びした野太い声が応えると頭上の出口の部分に大きな目をした変なおっさんが顔をのぞかせた。

 「落ちちゃったかー。助けてやるから、ちょっと待ってろい」

 そう言うと一旦顔を引っ込めたが、すぐに荒縄が目の前に垂らされた。

 「それを腰に巻きつけて、しっかり括れやい。準備できたら二回縄を引っぱれい」

 ぼくはいそいで縄を腰に巻きつけ強く縛り、縄を両手で握って二回引っぱった。すぐにはなんのアクションも起こらなかった。少し拍子抜けしたぼくがもう一度縄を引っぱろうとしたとき目の前の壁がいっきに引き裂かれた。ぼくは縄を握りしめたまま内部の消化水と一緒に流され、外に飛び出した。しかし、宙に浮いているウツボカズラから飛びだしたぼくは縄で腰を縛っていたので、そのまま落下することなく縄に必死につかまっていた。

 「おまえさんを引き上げることはできなんだし、こうしたっちゃ。これでよかろ?」

 自らも腰に縄を結んで上の枝からぶら下がったおっさんは、苦しそうな顔でそう言いながらぼくの目の前に近づいた。おっさんは身体に合ってない小さい毛皮のチョッキを素肌につけ、赤と黒ギンガムチェックのスカートをはいていた。とても見苦しい。

 「はやく下りて、その濡れたところ洗いながさにゃいけんよ。そのままにしてっと、おまえさんの足、骨になっちまうよ」

 ぼくたちは、急いで木から下りた。すぐ近くに川があったのでぼくはそこでズボンと靴を脱ぎ何度も何度も洗った。靴の紐は洗っているうちになくなってしまった。底の部分も少し溶けていた。ぼくの足は毛がなくなったくらいで、大丈夫だった。まったく不幸中の幸いだ。

 「よかったなあ、おまえさん。命拾いしたろ。おれは命の恩人だな」

 ぼくは何度も何度も頭を下げて御礼を言った。だが、おっさんは笑顔でいながら、その大きな目だけは笑っていなかった。

 「ちょっと、来う」

 そう言うと前に立ってずんずん歩いてゆく。少し不審に思ったが、命の恩人ゆえ無碍(むげ)にはできないので、ぼくはおとなしく後をついていった。

 そもそもぼくはどうしてウツボカズラに囚われていたのか?この疑問が当初から頭をよぎっていたのだが、夢の不条理ゆえに疑問を問題視する機能自体がうやむやになっているため、あまりつきつめて考えていなかった。それはなんらかの理由があった上での現象なのだが、辻褄の合うような理由があるわけなく、オブラートに包まれたゆるやかな認識の中で自然と処理されていったのであった。

 そうこうしているうちにぼくはおっさんの家らしき建物までやってきた。
 
 おっさんの家は崖下に穿たれた穴を利用してつくられた小さな宮殿だった。それは秩序を無視した法則で組み上げられたカオスの城。混乱と無法を体現した邪まな要塞だった。おっさんは振り向くと、いままでとは違う横に伸びた瞳孔でぼくを見つめて

 「命の恩人には、それなりの対価を支払わねばならん。おまえさんには、今日以降十年と十月、おれの屋敷で下働きしてもらうで。いいな?」

 ああ、このパターンか!一難去ってまた一難の悪夢なんだ。

 と理解したところで目が覚めた。