読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ビックリ体験を教えてください

いまは昔、まだぼくがペーペー社員だった頃。
 
寝坊してしまったぼくは、とにかく遅刻しないよう車を平均時速70キロで快調に飛ばしていた。
 
A町の街中を運転中、後ろから猛スピードでやってきたジープが、ぼくを追い越そうとした。
 
させるか!そう思いぼくはアクセルをさらに踏みこんだ。
 
逃げ切った。安心したのも束の間、行く先は渋滞で先へは進めない。
 
バック・ミラーを覗くと後ろから追いついてきたジープは、しきりにパッシングしながら迫ってきて、
 
やがて停まっているぼくの車に横付けしてきた。
 
何やコイツは?と思って見てると、ジープを運転してるおっさんはしきりに窓をおろせとジェスチャー
る。
 
訝しく思ったが、仕方なくウィンドウをおろすとおっさんが開口一番
 
「犬、引きずってるで」
 
後ろを振り返ると、おばけがいたというような感じで背筋がゾォッーとした。
 
そうか、あいつ逃げたのではなくて、ぼくの車にくっついてたのか。
 
事のはじまりはこうである。
 
三、四日ほど前から家のまわりを徘徊する赤い首輪をした白い犬がいた。
 
最初は手を出してかまってやろうとしていたのだが、あまりなつっこい犬じゃないらしく逆に吠えてくる
 
ので、最近は目の敵にしていた。
 
今朝、車に乗ろうとすると、後輪の真ん中あたりで丸くなっていたので、ちょっと嚇かして車に乗り込み
 
激しく空ぶかしして車を出したのだが、どうかして首輪が車体に引っかかってしまったらしい。バック・
 
ミラーで確認した時犬の姿がなかったので、ああ逃げたんだなと思っていたのだが、実はぼくの車に引き
 
ずられていたのだ。
 
家から、ジープのおっさんに声をかけられた地点までおよそ7km。その間、犬は首をつった状態で平均
 
時速70キロで延々引きずられていたのである。オー・マイ・ガッ!
 
ぼくは、車を降りることができなかった。絶対死んでいる。そんな過酷な目にあわされたら、人間だって
 
ひとたまりもない。まして、相手はあの中型犬である。絶対、死んでるに違いない。
 
ぼくが、呆然としてるとジープのおっさんがまた声をかけてきた。
 
「犬、生きてんで」
 
ぼくは、すぐさま車を飛びだした。
 
まず、犬の血にまみれた脚が見え、弱々しく振られるシッポが目に入った。車の下をのぞき込むと、首輪
 
を引っ掛けてたれさがった雑巾のような犬がみえた。ズタズタのボロボロだ。
 
急いで、引っかかりを取って抱き上げた。犬の身体には力がなく、のびきってダランとたれてきた。
 
死ぬんじゃないかと思ったが、依然シッポは弱々しく振られている。
 
犬をトランクに入れ、とりあえず会社に向かった。
 
会社に着きあらためて犬を見ると、確かに生きていた。深い呼吸をくり返し、のぞき込むと目だけを動か
 
してぼくを見上げた。車の窓を少しあけ、風が入るようにしてその場を離れたが、やはり気になるので十
 
時くらいにまた見に行った。
 
犬は首を持ち上げており、ぼんやりした目でぼくを見た。水が欲しいんじゃないだろうかと思って、もっ
 
ていってやったのだが、口はつけなかった。だいぶもちなおしてきたように見えた。
 
そして昼休み。
 
近くにある動物病院に犬を連れていった。
 
医者の診断では、治療するためには入院させなければならないが、キズの手当てさえちゃんとしていれば
 
長くかかるが入院させなくても治るだろうとのことだった。
 
注射を二本打ってもらって、傷口につけるパウダーと飲み薬をもらって帰ってきた。
 
その日家に帰ると、まず犬を洗った。おそろしく汚れていたのだ。きれいにしてやったあとパウダーを傷
 
口につけてやり、玄関でエサと水を与えた。
 
犬はしばらく食べ物をうけつけず、痛みに耐えながら一生懸命気をおちつかせて、眠ろうとしていた。
 
左の後足の甲の部分が骨まで見えるくらいスリへっていたので、相当の痛みだろう。
 
その他、ところどころ肉が露出するくらいの傷がついているので、だいぶ衰弱しているはずだ。ショック
 
もまだまだぬけきっていないだろう。水ばかり飲んで、下痢気味の水みたいな便を出している。
 
もう命に別状はないだろうが、死ぬほど苦しいんだろうなと思った。かわいそうな事をした。
 
こんなことになる前は、なつかず逆に吠えかかってくる犬に怒りをおぼえてどうにかしてやろうかと思っ
 
たこともあったのだが、実際こういう目にあうとやはり思ってる事と現実は違うと思った。
 
頭で考えている邪まな思いが現実になると、びっくりしてしまう。あまりの凄さに、怯えてしまう。
 
怒りのテンションが一気に下がり、その分後悔の念が強くなる。
 
いってみれば、今回の出来事はアクシデントであって故意にやったのではないが、本当にぼく自身の意思
 
で犬をひどい目にあわせていたら、一生ついてまわるほど後悔することになっただろうと思う。
 
ほんとうに犬が助かってよかった。

その後、元通り元気を回復した犬は、首輪がついていたにもかかわらず飼い主があらわれないので、知り
 
合いの老人の散歩のお供をするため引き取られていった。いまは子どもも産んで幸せに暮らしています。