読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

記憶は宝物

 実際、記憶の彼方にある幼い頃の光景は美化され、かけがえのない宝物になっている。ぼくは、三歳でどこかの浜辺に家族と旅行に来ていて、記念撮影のために浜辺の端にある大きな石の上に座らされた。大人にとってはたいした大きさではなかったはずだが、三歳の子供にしてみれば、自力で降りることができない大きさで、いきなりそこに座らされたぼくは恐怖で引きつって大声を上げて泣いてしまった。

 

 それは子供特有の甘えで、親のことを信用しているぼくは危険な目に合わされることがないという信頼をもち、親の愛情も十分感じられていたのに恐怖を感じてそれを最大限に主張したのである。一抹の不安もないのにぼくは訴えた。怖いよ。こんなところに座らせないでよ。落ちちゃうよ。助けてよ。

 

 音楽を聴いていると、専門でそれを学んだことがないにも関わらず、初めて聴いたはずなのに、次にくる音の流れがピタッと予測できることがある。音楽理論も知らない。コードも知らない。なのに、次にこの音がくればしっくりくるなと感じてしまい、実際そのとおりの音がくることは多い。これは絶対音感とか音に対する鋭敏な感覚があるとかではなく、人間が備えているプリミティブな感性なのだと思う。

 

 子供はそれらのことを身体でわかっている。跳躍する前に力をためること、目で見るだけで意思が伝わること、歪みが不快なこと、青が寒くて赤が暖かいこと、イメージすることが大事なこと、話すことが力になることすべてわかっている。でも、それを理解した上で理不尽にふるまってしまうのをやめることができない。

 

 日々はかけぬけてゆく。それは緩やかなようでいてはやい。歩いてどこかへゆく、新しい場所ですべてを目におさめる。人と話して知識を得る。おいしいものを味わって食べる。驚く。悲しむ。楽しむ。歌う。汗をかく。だから、忙しい。体験はどんどん積み重なってゆく。それはどんどんたまって記憶になってゆく。

 

 美化された記憶は改竄された記憶ではない。それは心の糧だ。思い出を再び体験することはできない。思い出は記憶であり、遠い風景。そして宝物なのだ。

井上雅彦監修・著 「屍者の凱旋 異形コレクションLVII」

屍者の凱旋~異形コレクションLVII~ (光文社文庫)

 まえの「屍者の行進」もなかなか豪華なアンソロジーでかなり堪能した記憶があるのだが、今回また同じゾンビテーマで(異形コレクションとしては、グランドホテルぐらいしか、同テーマってなかったよね)アップデートされたゾンビ物語たちが一堂に会したというわけ。ラインナップは以下のとおり。


 「ふっかつのじゅもん」        背筋
 
 「ハネムーン」            織守きょうや
 
 「ゾンビはなぜ笑う」         上田早夕里  
 
 「粒の契り」             篠たまき
 
 「アンティークたち」         井上雅彦
 
 「風に吹かれて」           久永実木彦
 
 「コール・カダブル」         最東対地
 
 「猫に卵を抱かせるな」        黒木あるじ
 
 「ES(エス)のフラグメンツ」     空木春宵
 
 「肉霊芝」              斜線堂有紀
 
 「ラザロ、起きないで」        芦花公園  
 
 「煉獄の涙滴」            平山夢明
 
 「ゾンビと間違える」         澤村伊智
 
 「屍の誘い」             三津田信三
 
 「骸噺三題 死に至らない病の記録」  牧野 修

 まあ、アップデートされたということで、ゾンビも様々な形態となって登場するのだが、ぼくが好きな腐りて崩壊して腐臭を放ちながら迫ってくる根源的な恐怖を感じるものは、さほどなかった。でも、そのバリエーションは素晴らしく、呼び方から、成り立ちから、世界の形までよくこれだけ考えつくなと感動した。これはこれで、おもしろい。澤村伊智の視点は特におもしろい。これは新しい。平山夢明のSFも、世界が確立されていてシド・ミードの描いたブレードランナーの世界観のような感動だった!

 あとは、三津田信三の「屍の誘い」がオーソドックスな恐怖譚を描いていて秀逸。山で迷い、たどり着くボロい一軒家。いままで明かりがついていたのに、おとなうと消えてしまう。不気味が強調され恐怖がつのる。しかし、この不気味な一夜の話がラストに…。

 逆に世間では久永実木彦「風に吹かれて」が評判いいようだが、これはまるっきりファンタジーで、ゾンビテーマを期待して読むとちょっと違うかな?って感じた。

 しかしこの長大なアンソロジーがすぐ読めちゃうんだから、おもしろいのは間違いない。いいアンソロジーです。

スティーヴン・キング「マイル81」

マイル81 わるい夢たちのバザールI (文春文庫)

 

もう一冊の「夏の雷鳴」を読んだ時、本書が見つからないと書いていたが、ありました。そりゃあるよね、買ってるんだもん。というわけで『わるい夢たちのバザールⅠ」なのでございます。世間ではキングの新刊「ビリー・サマーズ」や「死者は嘘をつかない」が話題ですが、そちらは、またの機会に。 

 こうやって邦訳最新のキング短編読んで感じるのは、安定のおもしろさだ。バカバカしい設定の話、奇妙な話、ありえない話、ワンアンドオンリーのアイディア勝負の話でもキングの手にかかると、それらが嘘っぱちのホラ話からリアリティあふれる迫真の物語となって立ち上がってくる。昔の彼の短編は、読むに耐えないものばかりだったのに。これぞ熟練の技というものか。読んでいてその安定感に安心して身をまかせてしまう。
 登場人物たちの言動が、予想できる範囲で堅実であり、ストーリーのうねり的な大きな波がなかったとしても、読み手として納得できるからどんどん追いかけてしまう。まったくもって上手いのだ。この巻の中で一番おもしろかったのは、ラストの「UR」だね。最長でもあるし、物語的に広がりがあって楽しめた。Kindleをテーマに、二つの興味で引っ張っていく力量に感服。

 他の作品も、昔のキング短編に比べたら三回生まれ変わったの?ってくらい上手くて巧いのばかりで、安心して読めちゃいます。
 それにしても、最新長編の「死者は嘘をつかない」はあんな薄い文庫なのに1500円もするから、躊躇しちゃって、いまだにレジに持っていけないの。

アンソニー・ドーア「すべての見えない光」

すべての見えない光 (ハヤカワepi文庫)

 大好きなドーア。この作家には信頼と尊敬しかない。風貌は連続殺人鬼のチカチーロみたいだけども。
 それはさておき。本書は、邦訳された初の長編なのである。彼の長編では二作目なので、ぜひ一作目の長編も読んでみたいものだ。本書を手に取られた方はご存知だろうが、本書はかなりの分厚さなのである。文庫で700P強あるもんね。これだけ本読んできてもこの分厚さには怯むよね。しかし、しかしである。本書は短い章の集積なのだ。だから、まるで短編を読んでいるように各々の章をさくさく読んでいけるので、700Pもなんのその、知らない間にページが進んでいるというわけ。

 本書で描かれるのは、第二次世界大戦末期のフランスの盲目の少女とドイツの孤児の少年の運命だ。運命なんていったら、いかにも振りかぶって大仰だけど、読んでいる間中ずっとそう感じていた。これは運命の物語なんだなと。基本的にドーアはこの二人を交互に描いてゆく。時代が前後して描かれるのは盛り上げの常套で、開巻早々描かれる1945年8月7日に向けてストーリーは集約されてゆく。 

 その当時、戦争の真っ只中にいた人たち。後世の人がそのことをたくさん描いてきた。戦争という理不尽極まりない悲劇をたくさんの人が描いてきた。ドーアもその戦争に直面した人々を本書で描きだす。

 しかし、本書は悲しい物語ではない。第二次大戦下のドイツとフランスを描いていて、うつくしい光の中で数々の悲劇も描かれるが、そこには、不安と恐怖に彩られながらもたくましく生きる人がいて、時代の波にもまれながらも自分を信じて行動する人がいた。見えない光は、すべてにふりそそぎ、そこにいる人や物を照らしだす。それは限りなく公平で平等な光であり、すべての人は慈しみ時は非情に流れてゆく。決して変えることができないものがすべての見えない光なのだ。
 
 後半少し失速した感はあったが、おおむね本書を読んでいる時間は豊かで読書の喜びに満ちた時間だった。彼の作品は今後もずっと読んでいきたい。

シオドア・スタージョン「天空精気体 シオドア・スタージョン怪作集」

天空精気体 シオドア・スタージョン怪作集

 

  スタージョンのデビュー作なのだそうだ。表題の「天空精気体 エーテルブリーザー」とその続編の「ブチル基と精気体」が収められている。二つ合わせて80ページほどの薄い本だ。短編ふたつだね。CAVA Booksで手に入るのだが、大好きなスタージョンゆえ、コスパ悪いけど買っちゃった。まさしく奇想そのものであり、しかもやさしくて叙情的でロマンティックなので好みなのだ。これは読んでもらわなければわからないけどね。

 で、今回のこのデビュー作は熟練の上手さってのはあまり感じられないけど(当たり前だ)、なかなか楽しい作品で、やはりスタージョン目のつけどころが違うよねと思ってしまった。

 話的には、当時としては(1939年)思いっきり進化した未来を書いているのだが、そこはそれ遥か未来のわれわれとしては、微笑ましく見える。でも、そこから紡ぎ出されるストーリーの奇想はやはりスタージョンの独壇場で、まあ、こんなこと思いつかないよね。

 興味ある方は読んでみていただきたい。スタージョン好きならなおさら。だって、どんな作品でも彼のファンなら読んでおきたいでしょ?

 

白井智之「ミステリー・オーバードーズ」

 

 

ミステリー・オーバードーズ (光文社文庫)

 

  この人、気になっているんだけどなかなか読めていないのだ。特殊で異常な設定の中で華麗なロジックを展開するゲテモノ美食ミステリとでもいうべきスタイルはぼくの好みなのだが。でもこの人の本で読んでいるのってデビュー作の

「人間の顔は食べづらい」

だけなんだよね。

 で、今回は短編集。ラインナップは以下のとおり。

 「グルメ探偵が消えた」

 「げろがげり、げりがげろ」

 「隣の部屋の女」
               
 「ちびまんとジャンボ」

 「ディティクティブ・オーバードーズ

 以上五編ね。内容的にはまともなのは一つもないんだけど、ミステリとしてのロジックはしっかり構築されていておもしろい。耐性のない人はダメなんだろうけど、平山夢明読めちゃう人はノー・プロブレム、どうぞお読みください。

 本書はテーマとして食に関する作品で統一されているってことだけど、嫌悪をしめすのに手っ取り早いのってビジュアルか、そんなもん食う?ってやつじゃないの?映像で見ていても、例えば「クレイジー・ジャーニー」とか動物捌いて内臓や血が出ているところとか、その血をそのまま啜っているところなんか観ると、うわ!ってなっちゃうもんね。普段われわれが生活していく上でであうことのない事が突然目の前にあらわれると、驚き衝撃嫌悪恐怖ってのがいっしょくたになってインパクトを与えてくるもんね。

 そういった意味でこの人の描く世界はおよそわれわれの一般的な人生では決してであうことのない衝撃の光景が展開されるからおもしろい。内容的な説明はこの際省いちゃう。興味ある人は実際読んでみてインパクトをダイレクトに味わってほしい(笑)。まあ、普通の人じゃ到底思いつかない衝撃の光景が見れちゃいます。

 ぼく的には、こういうのに耐性できちゃっているんで嫌悪はほとんどなくて、もうただただおもしろいばかり。あんなもん食っちゃうの?そんなことしちゃうの?と楽しんで読んじゃいました。

 でも、最初にも書いたとおり、この人それだけじゃないからね。こういった特殊な状況のもと展開されるロジックは完璧なのです。ま、辻褄あってるけど動機的にそうなる?ってとこはあったりするけど、でも計画と偶然のバランスも無理ないし、特殊状況ゆえのロジックも完璧だし、なかなか侮れないのであります。

 でもね、今回一番楽しみにしていたラストの「ディテクティブ・オーバードーズ」があんまりだった。これも特殊状況下での完璧ロジック作品であり、多重解決ものでもあるのだが、少し助長で退屈だったのだ。それまでの短編は小物ながらなかなか面白かったんだけどね。だから、最後の最後でちょっと評価落ちちゃいました。こんどは長編読もうかな。

キミ・カニンガム・グラント「この密やかな森の奥で」

この密やかな森の奥で (二見文庫 グ 11-1)

 本書の巻末に作者のおすすめ本が載っている。本書を気に入った人は、これも読めばきっと気にいりますよとの作者からのメッセージだ。未翻訳のものもあってちょっともどかしいが、この巻末に載っている本のタイトルを見て、それを読んだことがある読者なら『ああ、そういう感じなんだな』と本書の傾向を見当できる。

 斯様に、本書の作者はやさしい人柄なのである。本書を読んでいる間、そのやさしさがずっと邪魔をしていた。様々な岐路につらなる選択が何回か描かれる。自分ならどうするか?考えても決して答えはでてこない。主人公であるクーパーの選んだ道は尊くなにものにも代え難いものだったが、イバラの道でもあった。贖うという言葉には二つの意味合いがあるが、クーパーの選択は、その二つをなぞらえるものだった。とてもおもしろく、先へと読ませる物語だが、すべての配置がピタっと収まっているわけではない。クーパーのリフレクションが数多く描かれるゆえ、本書をハードボイルドと位置づけしているみたいだが、ぼくはそうは思わない。予定調和というか、御都合主義というか、常に物語全体を覆っている作者の温かい目が、サスペンスを盛り下げ、必要ない安心感を与えてくれる。

 クーパーは、アフガニスタンからの帰還兵で、数年前に起こしたある事件から逃げて山奥のキャビンで一人娘のフィンチと自給自足の生活をしている。だから、世間から完全に身を隠している状態だ。年に一度(年に一度!!!)、同じ帰還兵で親友のジェイクが補給物資を届けてくれることになっている。交流は、このジェイクと隣人だという詮索好きで少し怪しいスコットランドという男だけ。

 いまでもアメリカの田舎では、このような自給自足の生活をしている人はいるだろう。自然と生き物に詳しく、文明から隔絶された生活。クーパーとフィンチは、そういうわれわれから見ればとても不便な生活を、しかし謳歌して楽しく幸せに暮らしているのである。その二人と時々隣人の静かな生活の中に不穏な出来事が起こりはじめる。 

 先にも書いたとおり、ぼくは本書をハードボイルドだとは感じなかった。温かい目は始終注がれていて、そういう安心して読める物語が好きな人には、いいかもしれない。文体もとても細やかでやさしい(何箇所か誤植があったのが気になったが)もので、文体からいえば、ジュンパ・ラヒリのほうがよほどハードボイルドだと思うのである。最後は、そういう風におさまるだろうなと思っている着地点であり、またそれが不満でもあった。次が出ても、もういいかな。