読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

高山羽根子「オブジェクタム/如何様」

 

オブジェクタム/如何様 (朝日文庫)

 このなんともとらえどころのない展開に翻弄される。すべて幻想譚だ。途中で様相が一変する。何を見せられているんだ?とまごついてしまう。

 特に驚いたのが「太陽の側の島」。戦時中の話なんだなと思って読んでいると、目玉飛び出します。どこかの南国の島にいる夫との書簡でのやりとり。夫は、塹壕を作ったり、食料を自給自足で賄うため、畑を耕したりしている。いっこうに戦闘がはじまらない、なんとものんびりした日々を送っている。一方残された妻は小さい子を抱え、空襲の恐怖に耐えながら日々をすごしている。お互い相手のことを思いやり、また会う日を夢見ている。いったい、この話はどこへむかうのかと思っていると、いきなり・・・・・ああ、これ以上は書けない。

 表題作の「オブジェクタム」にしても、話が奇妙に捻じれてゆく。答えが出てないから、いつまでも心に残る。「如何様」もそう。なにも終わらないし、なにも明かされない。それが真実として壁にピンでとめられてしまう。模様は変化し、暗いところが明るくなる。

 この人は、SF畑の人なんだと勝手に思い込んでいたけど、芥川賞受賞してるんだね。円城塔みたいな?

 本書を読んでみて、ぼくはすべてが幻想譚だと感じた。なんとなくしっくりこない。少し合わないなとも思った。他の本も読んでみなくてはわからないけど、なんか違うなと思ったのである。
 

ブライアン・アザレロ、リー・ベルメホ「 ジョーカー[新装版] 」

ジョーカー[新装版] (ShoPro Books)

 

 この表紙の禍々しさ。ゾゾ毛たちまくりだもんね。邪悪で、汚くて、オゾマシイ。それが一発で感じとれちゃう表紙でしょ?

 みなさん、ご存じジョーカーなのであります。バットマンに登場する最大の宿敵。犯罪界の道化王子との異名もあるこのサイコパスヴィランとしての魅力を最大限に引き出したのが、これまたご存じの「ダークナイト」で鬼気迫る演技を披露したヒース・レジャーだと、ぼくは勝手に思っているんだけどどうでしょう?

 あのジョーカーの一挙手一投足にどれだけ心臓を逆なでされたことか!もうやめて!それ以上ヒドイことしないでと、何度スクリーンに祈ったことか!

 それほどにヒース演じるジョーカーは衝撃的だった。ジャック・ニコルソンのジョーカーはまったく道化だったし、ホアキン・フェニックスのジョーカーは、脅威の存在ではなくて弱者としての悲哀をまとった胸が苦しくなる別物だった。

 だから、ぼくの中ではジョーカーといえば「ダークナイト」のヒース・ジョーカーなのである。

 で、ここでようやく本書の話になる。これ、発売された当初は結構いい値段してたから見合わせていたんだけど、何年か前にお手頃な新装版が出てたのを知って、読んでみたわけ。

 内容は、犯罪王ジョーカーがアーカムアサイラムから釈放されて、再びゴッサムシティを掌握する過程をジョーカーのもとで働くことになったチンピラ、ジョニー・フロストの目を通して描かれるというもの。

 まさか、ジョーカーが出所してくるとは思ってなかったマフィアのボスたちは、ジョーカーの縄張りを山分けして利益を得ていたのだが、それを次々と取り戻していくジョーカー。まさに、自分には不可能なことなどないと神の視点ですべてを自分のものにしていくジョーカー。道理や法などはないに等しい。はったりもないし、虚勢もない。個としての存在意義を極限まで昇華させたジョーカーは、後先など考えずに突き進む。

 非常に短い作品だから、すぐ読めちゃう。でも、情報量はかなりある。だから、何回も楽しめちゃう。

 この究極のサイコパスの所業を見て、ぼくはヒース・ジョーカーを思い出してしまった。ああ、もう一度彼の演じるジョーカーを見てみたかった。

頭木弘樹編「うんこ文学 ――漏らす悲しみを知っている人のための17の物語」

うんこ文学 ――漏らす悲しみを知っている人のための17の物語 (ちくま文庫 か-71-4)

 うんこ漏らしたことあるかって?そりゃ、ありますよ。オナラするつもりが、下痢っててでちゃったとか、いままでの人生で何回もありますよ。でも、正常の状態で便意をもよおして、トイレに間に合わず漏らしちゃったってのはないなー。でも、そういう危機に陥ってしまっている人がのっけから出てくるんですよ。本書に収録されているのは以下のとおり。


第一便 ある日、ついに……

 [帰り道で漏らす]

   私小説
   「出口」 尾辻克彦


 [家から最も遠い地点で]

   エッセイ
   「春愁糞尿譚」 山田風太郎

第二便 人間としての尊厳を失う漏らし

 [大勢の前で漏らす]

   感染症小説
   「コレラ」 筒井康隆


 [漏らさせられる]

   フランス文学・評伝
   「ルイ十一世の陽気ないたずら(抄)」 バルザック[品川亮 新訳](『おかしな小話』より)


第三便 隠せないにおい

 [においが教室に充満]

   自叙伝
   「ヒキコモリ漂流記 完全版(抄)」 山田ルイ53世

 [ドリアンだと思ったら……]

   エッセイ
   「黒い煎餅」 阿川弘之

 [親子三代]

   エッセイ
   「トルクメニスタンでやらかした話」 阿川淳之

第四便 うんこへの特別な思い

 [夕陽を見て漏らす]

   エッセイ
   「石膏色と赤」 吉行淳之介

 [美しい便の幻想]

   日記形式の短編小説
   「過酸化マンガン水の夢」 谷崎潤一郎

 [よくないものを出す]

   落語
   「祝の壺」 桂米朝

第五便 うんこと真剣に向き合う

 [自分の大便を見つめる]

   随筆
   「黄金綺譚」 潔癖の人必ず読むべからず 佐藤春夫

 [あえて外で出す]

   実践談
   「野糞の醍醐味」 伊沢正名(『くう・ねる・のぐそ 自然に「愛」のお返しを』より)

 [うんこへの思いを分類]

   評論
   「スカトロジーのために」 山田稔(『スカトロジア(糞尿譚)』より)

第六便 うんこのせつなさ

 [トイレを使わせてもらえない]

   韓国文学
   「半地下生活者」 ヤン・クィジャ(梁貴子)[斎藤真理子 新訳]

 [女性が大を漏らす]

   少女マンガ
   「ピクニックにきたけれど…の巻」 土田よしこ(『つる姫じゃ~っ!』より)

番外編1 お尻の拭き方

   「お尻を拭く素晴らしい方法を考え出したガルガンチュアに、グラングジエが感心する」 ラブレー[品川亮 新訳](『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』より)

番外編2 編集者の打ち明け話

   「お尻と大便のことにつきまとわれる」 品川亮


 よくも集めたり!素晴らしいでしょ?こんなにあるんだねうんこの尾籠な話。でも、この排泄ってのは生きていく上で切っても切りはなせないものだもんね。絶対一日一回はするし(ま、便秘の人はさておき)決して目をそらすことはできないことだからね。いってみれば、SEXせずとも生きていけるけど、排泄せずに生きていくことは絶対無理なのであります。あたりまえだけどね。
 だから、ぼくは必ず自分のヒリ出したものの色や形やにおいはチェックしてるもんね。それでだいたい腸内環境の具合がわかるから、ああ、こりゃヨーグルト食べとかなきゃいけないなとか、もっと食物繊維とらなきゃなとか判断して、口にするもの選んだりしているのである。この辺佐藤春夫の「黄金綺譚 潔癖の人必ず読むべからず」に大いに通じるところがあるといえる。

 筒井康隆の「コレラ」は初めて読んだけど、この人のうんこへのこだわりがよくわかる作品で初期の傑作「最高級有機質肥料」っての読んだことありますか?植物星人のいる星に赴任した地球の大使が経験するトンデモな出来事が描かれるのだが、当然、植物なんだから人間の排出するあらゆる物質が彼らの大好物になるってんで、お皿に盛った大使がヒリ出した大きなうんこをナイフとフォークで食す場面が出てくるのだ。筒井氏はこの場面を描くために実際に自分のうんこを皿にのせナイフで切ってみたとか・・・・・ひぇー!!!

 ま、そんなこんなでうんこについて語る機会もそんなにないもんだから、いろいろ出てくるね。

 というわけで、興味持たれた方是非お読みください。
 

ペーター・ビクセル「テーブルはテーブル」

 

テーブルはテーブル

 ナンセンスなのにちゃんと完結している。帰結がしっかりしているから、変なの、で終わらない。収録作は以下のとおり。

 「地球はまるい」

 「テーブルはテーブル」

 「アメリカは存在しない」

 「発明家」

 「記憶マニアの男」

 「ヨードクからよろしく」

 「もう何も知りたくなかった男」
 
 たとえば表題作。あるとき突然特別な日がやってきた老人は「今から何もかも変わるぞ」と考えるのだが、当然何も変わらない。そこで怒りにとらわれた老人は、部屋にあるものの名前をいれかえることを思いつく。

ベッドを絵、テーブルをじゅうたん、椅子を目覚まし、新聞をベッド、鏡を椅子、目覚ましをアルバム、たんすを新聞、じゅうたんをたんす、絵をテーブル、アルバムを鏡というふうに。

 だから、老人は絵に横になって、九時にアルバムが鳴り、新聞から服を出すとそれを着て、壁にかかっている椅子をのぞき込み、じゅうたんに向かって目覚ましに腰を下ろすことになる。やがて、その変換に慣れてしまった老人は世間との繋がりを保てなくなってしまう。ラストは世間の人々が老人のいうことを理解できなくなってしまい老人は一言も口をきかなくなってしまうのである。

 ナンセンスの極み!他の作品も本筋では似たようなもの。シチュエーションが違うだけだ。その中でも「アメリカは存在しない」は、話に躍動感があり、なぜアメリカが存在しないのかというこれまたナンセンスな話が壮大に語られる。これは、なかなかおもしろかった。わたしは、コロンブスを知っているのである。

 カテゴリは児童書なのだが、多分に哲学的でもあり、思索をうながす作用もある。大きい括りでスぺキュレーション的でもあるんじゃないかな。本質を見極める上での凹凸や陥穽、避けて通れない問題、引っかかり、目の前に立ち塞がる大きな壁があるのだということを言外に悟らせるような印象を持った。これは、大人だからわかることではなくて、この感覚は本書を読んだ誰もが自覚せず身につけるものなのかもしれない。こどもであってもね。

傑作! 文豪たちの『徳川家康』短編小説

傑作! 文豪たちの『徳川家康』短編小説 (宝島社文庫 『この時代小説がすごい!』シリーズ)

 勝手に宝島社文庫だからって、なんか軽い感じに思っていて、実際読んでみてなかなかの読み応えに驚いております。収録作は以下のとおり。

 南條範夫「願人坊主家康」

 山本周五郎「御馬印拝借」

 滝口康彦「決死の伊賀越え――忍者頭目服部半蔵

 火坂雅志「馬上の局」

 池波正太郎「決戦関ヶ原 徳川家康として」

 山田風太郎「倒の忍法帖

 芥川龍之介「古千屋」

 一応この並びは、家康の生涯になぞって時系列で並べられている。のっけの「願人坊主家康」からして家康の本当の出自がまったくの別人だったという村岡素一郎の『史疑 徳川家康事蹟』に端を発っする世良田二郎三郎元信の成り代わりの物語であり、これが史実にまことにうまく溶け込んでいて、すこぶるおもしろい。有名な隆慶一郎の「影武者徳川家康」は、これに独自の考察を加えて今一度練り直した作品であり、こちらも併せて読めばなおおもしろいのではないだろうか(でも、ぼくは以前「影武者徳川家康」を放棄しちゃってるんだけどね)

 山本周五郎作品は、家康はほんのちょっとしか出てこない。でも、心に残る熱くて深い物語なのである。

 滝口康彦は、あの決死の伊賀越えを描いてスリリング。ぼくが子供のころに住んでいた町が名指しで出てくるのも親しみがわく。

 火坂雅志の描く家康も対面を気にしない素の顔が見られて興味深い。しかし、こんな女武者がいたなんて知りませんでした。かっけー。

 池波正太郎のは小説というより、随筆っぽい感じ。関ケ原の戦いを家康目線で語りなおしているんだけど、これはあんまりだったかな。

 山田風太郎はまってましたの忍法帖。この作品は未読でした。ここで描かれるのは家康の鬼っ子六男忠輝の異形極まる行状をなんとかせんと家康が伊賀忍者を使った顛末なのだが、これがなんとも異形が異形たりうる結末をむかえる。う~む、外しませんな風太郎。

 芥川龍之介は、とっても短い短編で大阪夏の陣の頃の話なのだがなんとも不思議な話。あらゆる憶測を内包する作品。解釈は何通りもあるだろうし、そこをはっきりさせてもおもしろくない。この作品はこういう曖昧で五里霧中な羅生門のまま閉じるのが一番かと。

 というわけで、なかなか楽しめた。おもしろいからすぐ読めちゃったもん。

平山夢明「俺が公園でペリカンにした話」

 

俺が公園でペリカンにした話

 これまで刊行された平山夢明の本の中で一番分厚い。しかも連作ときた。いままでにないパターンだ。全部で20話。なげーよ。サイテーだよ。何読ませんだよ。特別だよ。いたしかたないんだよ。雨も降ってんだよ。なのに読んじゃうんだよ。でも、続けて読めねーんだよ。帯にも『用量一日三頁迄!!』って書いてあるんだよ?でも読んじゃうんだよ。 

 とりあえず落ち着こう。ここで描かれるのは、名もなき浮浪者然とした男がヒッチハイクをしてたどり着いた町で起こる顛末だ。ま、それが20回繰りかえされるってことなんだけどね。それがまあ酷い話ばかりで、それが、あーた、なんとも絶妙な言い回し満載で繰り広げられるから、こちとら脳みそがバーストするんじゃないかって、ヒヤヒヤもんで読んでいる始末。
 
 たとえばこんなやつ

 「デロズベ歩きのオベチョガールでも親ゴネ一発芸能界の人気者。どんなに苦労辛抱忍耐根性があったって所詮、この世は金待ちの胴元のイカサマ博打。才能努力なんぞ鼠の糞ほどの価値もねえって面つきな」

 なんのこっちゃ。でも、それが沁みわたる。身体に、血に、脳に。悪いクスリだぜまったく。

 しかし、これ読めばしばらく平山本は必要なくなる。それほどにどっかりと居座っちゃう。地獄行きの地獄巡りの地獄ツアーをお望みのかたはどうぞ読んでください。あ、といってもスプラッターとかグチャグチャとかはまったくないんですのよ。

 いってみれば『毒』だね。人間のあらゆる悪い部分が描かれる。でも、適度なユーモアがあるから当てられることはない。
 さて、みなさん、読みますか?読みませんか?

西村賢太「瓦礫の死角」

 

瓦礫の死角 (講談社文庫)

 久しぶりに西村作品を読んだ。ここに収められているのは

 「瓦礫の死角」

 「病院裏に埋める」

 「四冊目の『根津権現裏』」

 「崩折れるにはまだ早い」


 の四編。最初の二編は若かりし頃の貫太の怠惰で醜悪な日常が描かれる。といっても、これが西村作品の持ち味であって、貫太が卑屈で怒りっぽくて、自分勝手ですべてを他人のせいにするなんの取り柄もない漢だというところがミソなんだけどね。
 そんな漢の謂わば腐臭漂うような日常を覗き見て何の得ることがあるのか?何がおもしろいのか?
 おもしろいんだなぁ、それが。
 この怠惰が懐かしく和むのだ。当事者としては、なかなかの修羅の道なのだが、そこから遠く離れた安全な境遇に胡座をかいている身としては、このどうにも救いようのない奈落を覗き込むような貫多の日常がエンターテイメントに映ってしまう。人間の嗜虐性をことさら刺激するあまり例をみない作風が時々読みたくなる要因なんだろうね。
 酷い事が起こる期待感。第三者としてそれを我が身を気にすることなく鑑賞できる楽しみ。くるぞ、くるぞと心の中で快哉を叫ぶ用意ができているのである。
 
 とことんまで堕ちてゆくこの喪失感。情けないとか、意気地がないとか、ガマンが足りないとか、そんなレベルをはるかに脱したところに位置する生き地獄。

 さて、基本、西村作品は私小説というジャンルで生成されている。自身の生い立ちを多少のアレンジはあれど、世間に晒しているわけだ。それが、これだけの成果となっているのだから素晴らしいことだよね。

 でも、本書に収録されているラストの作品はいままでの彼の私小説と少し趣が違う。読んで、ちょっと驚いちゃった。こんなのも書いちゃうんだ、賢太くん。なかなか達者だよね。やっぱり彼はおもしろいわ。もっと長生きしてもっともっと多くの作品を生み出して欲しかったよね。