稲生物怪録はまさしく都市伝説のはしりのような話で本筋は詳らかにされているが、その伝わり方が諸説あって定かではない。怪異そのものを体験した本人の話、その同僚の話、国学者がまとめた話、それ以降も名だたる作家たちがこの物怪録を小説、戲曲、紀行などに描きなおしてきた。それらと原典をまとめたのが本書より先に刊行された「稲生モノノケ大全 陰之巻」であり、本書は現代の作家たちが新たな視点で語りなおした稲生物怪録なのである。ラインナップは以下のとおり。
旧耳袋 もう臭わない 京極夏彦
逆しま屋敷 菊地秀行
異本 長島棋子
文月問答 加門七海
釣りぎつね 越水利江子
SRP 小林泰三
砂浜怪談 牧野修
逢魔の夏 福澤徹三
夢三十夜 津原泰水
平気の平太郎 魔王の館の巻 寮美千子
菩提町日記 佐藤弓生
クリスタルジーレナー 秋里光彦
魔王 ―遠い日の童話劇風に 皆川博子
音迷宮 石神茉莉
生者・死者・物怪 松本楽志
妖鼓変 戸隠珠子
七月の客《まろうど》 サカジリミズホ
三次もののけ殺人事件 ひらさとひよこ
風流化物屋敷 山本周五郎
有名作家ばかりの中に知らない名前が何人かあると思うが、皆川大先生から山本大先生までの間の五名は一般公募の入選作品なのだそう。
ここで稲生物怪録なるものがどういうものなのか、ざっと紹介すると江戸中期、備後に実在した稲生平太郎という16歳の少年が隣家の権八という相撲取りと肝試しをしたことをきっかけに一カ月もの間、毎日奇怪な現象に遭うことになった。しかし平太郎は常人なら恐れおののくそれらの現象にも屈せず、最後まで逃げ出さなかったので、月の終わりに物の怪の魔王である山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)が現れ「今後、魔王神野悪五郎が現れたならば、これを使えば、我加勢す」と槌を渡し、眷属を引き連れ去っていったというもの。驚くことに、現在でも広島に稲生平太郎の子孫が在住しているらしい。
以上のことをふまえて本書に収録されている短篇を読んでみると、あの手この手でこの希代の怪異物語が料理されていて楽しい。特別これがすごい!っていう作品はなかったけど、十人十色それぞれの料理の仕方があって飽きさせない。こうくるか、そうくるか!と驚き楽しみ読んでいった。特に印象に残ったのは菊地秀行と皆川博子。前者はあの幽剣抄のシリーズを彷彿とさせる化物屋敷物で、手堅い印象だし、後者は、この題材をこんなに大胆に変えちゃう?と驚いた。だって、オーディンですよ?有翼蒼狼ですよ?いったいいつまでこの作家に驚かされることか。
二百年以上語り継がれてきた怪異が、こうやっていまも新たな物語を生み出しているという事実にあらためて驚く。泉鏡花「草迷宮」くらいが打ち止めかなって感じなのに、こういうのってくり返され語り継がれていくんだろうね。
松本清張「浮游昆虫」

清張の短編集の中では、あまり見かけない本だ。収録作は以下のとおり。
「浮游昆虫」
「閉鎖」
「皿倉学説」
「相模国愛甲郡中津村」
「振幅」
それぞれ様々な趣向が凝らしてあって、安定のおもしろさだった。表題作は、戦後の混乱期に大学建設用地を格安で手に入れるという目覚ましい活躍を認められ一介の講師から理事にまで抜擢された野心に燃える男の画策を描く。手回しと周到な罠で邪魔者を除外せんとする彼の前に立ちはだかる敵。落とし落とされの駆け引きがサスペンスフルに描かれる。
「閉鎖」は書簡で書きすすめられるミステリ。田舎の百姓がふっつりと消息を絶つ。当時としては大金の二百万を用立てた帰りの出来事である。真面目な性格で、唯一酒を飲むことだけが楽しみだった男。物取りの犯行だと見当がつけられ捜査が進められるが、そこには驚くべき真相が。
「皿倉学説」は、なんとも魅力的な話で、いまは落ちぶれて教え子たちのお情けで大学に名誉教授として籍をおく主人公のお話。本妻とは別居し、妾の狭い家で暮らしているこの名ばかりの教授は週に一回たいした仕事もないのに大学に通う生活を続けている。そんなある日、彼は弟子の一人から茶飲み話のついでに医学雑誌に掲載された奇妙な論文の話を聞く。推定でしかなかった聴覚機構の脳内での役割に関するとある説を、猿を実験台にして検証したというのだが、猿と人間では脳の細胞からして異質なので、その検証は空想の域をでないものになってしまう。しかし、このお笑いぐさのトンデモ学説に妙な魅力を感じた主人公は、これを唱えている四国の市立病院の内科部長の皿倉という男のことを密かに調べる。
こんなふうに始まるこの短編、事件もなにも起こらないのに、グイグイ読ませる。主人公の落ちぶれた現在の境遇と、それでもなお生理学者としての鋭い直観を失っていない姿が交錯し、どんどんページを繰らせる。
「相模国〜」も、明治初期に起こった贋札事件について神田の古本屋で出会った好事家とのやりとりから、世間一般で知られているのとは違う真相が浮上してくるという話。この短編も「皿倉学説」もいわば知的好奇心の話であり、物語の主人公たちが感じる新たな発見の興奮が読み手にも伝わってくるところが魅力だ。しかもこの二作どちらもラストは不穏に終わる。まったく心憎い仕上がりなのである。
「振幅」も、派手な仕掛けや展開があるわけではない作品なのに、とても印象的。ラストの澄んだ金属の音がいつまでも耳に残る。
というわけで、すっかり堪能。読むほどに清張の魅力にどっぷりハマっていく。わるいやつらばかりではなく、こういった純粋な知的興奮や歴史のロマンをも掌中のものにしてしまう彼の魅力が横溢している短編集だった。
背筋「目が」
またまた登場したこの小さい本。前回は口だったけど、こうきたら第三弾は耳だったりするのだろうか。
それはさておき。あいまいな基準を軸に展開される目もしくは視線に関するお話は、三つのエピソードで成り立っている。そこにはささやかなギミックも仕掛けられており、最後まで読んでそういうことかと腑に落ちることになる。
不穏なフィルターは常にかけられていて、なんとなく居心地の悪さを感じながら、目というか視線に関する話をすらすら読んでいく。被験者を使った視線についての実験。いかがわしい監視のバイト。変なポイント稼ぎに熱をあげる彼女。それぞれが日常から逸脱した特別な感情を呼びおこす。
しかし、少し弱い。手頃だし「口に関するアンケート」の映画公開に合わせての刊行だしまたまた売れるだろうけど、各エピソードを読み終えたときに残る決定的なイメージには乏しい。正直なところインパクトはない。時間つぶしにはなるけどね。
視線の罪が悪意を増幅させるという怪談は、さほど目新しくはない。怪談というよりヒトコワか。もう少し印象的なエピソードがあれば良かったと思う。でも、増殖という現象は不穏で生々しく不気味だ。集合体への恐怖もあいまって、嫌な人にはすごく嫌だろう。ぼくは、まったくなのだけどね。
水須ゆき子「風の心臓」
喪失が感情を呼び起こす。日々の中にある惰性と厳しさ。乗りこえるために、感情のままに字を綴る。結実した成果が本書におさめられている。
ねえ月がきれいだよって娘からLINEが来てて別れたらしい
ごめんなさいきらいでしたと悲しげな顔を作って焼香済ます
腐りかけのチーズのような明るさで金貸してよと弟が言う
酸素マスクずり下げながら腹減ってないかと問いぬ瀕死の兄は
知らぬ、出会ったことのない女性の人生の切りとられた場面がにわかに立ち上がる。母、父、夫、娘、兄、弟そして猫。著者の身内とのやりとりが残酷に克明にやさしく突きつけられる。美しさの中にある厳しさ。哀しさと共に感じる達観。時に喜びが生をつなぐ。
言葉の配置の的確さ、うるおい、鮮烈、光、一体となった短い結晶が心に響いてくる。いつものごとくぼくも刺激されて作ってみました。
忘れない忘れていてもわすれない変わらぬ笑みの歩けぬ母さん
少しづつ欠けてく身体とどまらず気持ちの内はあの頃のまま
寝たきりの父が乞いし氷菓子はねつけたこと今でも悔やむ
この切りつめた豊かな世界。言葉の可能性は無限大か?感性は広がり続けるのか?疑問は驚きとなってかえってくる。それも接する度ごとに。気持ちの揺れを確かめたくて、また本を手にとる。
ガブリエル・ガルシア=マルケス「百年の孤独」
ようやく読む気になった。文庫化されるとは思いませんでした。これで未文庫化のビックネームは「薔薇の名前」だけになったかな。リチャード・パワーズとトマス・ピンチョンもあまり文庫化されていないけどね。
やはりこの作品は特別みたい。だって文庫のスピンも金色だしね。単行本でも二回刊行されていて、ぼくは当初のを積んでいたのだが、これがああた、ページ全部に字が密集していて、しかもすごく小さいから、まったく読む気にならなかったのだ。マルケス全集として再刊された時も、少しは読みやすくなっていたが、もうすでに持っているからなと買う気になれず、そうこうしている内に文庫化のお祭り騒ぎが到来したというわけ。
まあ文庫になっても字数の圧は変わらないわけなのだが、手に取りやすくなった分、気軽に開けるので車中本として二カ月かけて読了したというわけ。
本書を読んだ人、読もうとしたけど読み切れなかった人、読んでみたけどわけがわからなかった人、さまざまな人がいることだと思う。ぼくは本書を読んで、物語としてストーリーを追うという読み方はしなかった。なぜなら、読み始めてすぐにこの世界が循環していると感じたからだ。本書の中で時間はたえず繰り返される。エピソードの積み重ねによって語られるマコンドの歴史は、ぼくの頭の中ではブランコに乗っている感覚だった。前へ後ろへと振れ動くたびに景色が変わり、それが幾重にもかさなって層が作られてゆく。重ねられた層の中から、奇妙な出来事が強烈なインパクトを伴って頭に刻み込まれてゆく。磁石の棒を売るジプシーが通りを歩くと、釘や金物が引っ張られて家が揺れ動いたり、海から遠く離れた陸地に座礁している大きな船があったり、幽霊は普通に現れるし、土を食べずにおれない美少女がいる。族長が死ぬと空から大量の黄色い花が降ってきて家畜が窒息するし、文字通り天へ昇っていくものまでいる。
そんな出来事がまだまだ続く。それが、コロンビアの歴史と同列に語られる。マコンドと共に歩み、やがて滅びてゆくブエンディア一族の百年の歴史。栄枯盛衰なのだ。ゆえに、本書は平家物語でもあるのかもしれない。ま、すべての歴史はそうなるのが必定なのだけれどね。そうして予告された一族の歴史は匂いも影も残さず消えてしまう。しかし、長い間この物語と向き合ってきたぼくに喪失感はない。一族の彼や彼女の顔が浮かぶだけである。許されるなら、この世界にとどまりたい。そう願うほどに濃密でむせかえる読書だった。
森川智喜「スノーホワイト」
「キャットフード」の作者だから、また特殊設定の世界で本格をやっているんだろうと期待して読んだ。今回の解説は法月綸太郎だし、第14回本格ミステリ大賞を受賞しているし、前作よりもっと本格なのだろうと思ったのである。
本書で扱われるのは『魔法の鏡』。鏡に聞けば、どんな問題でも即解決。だから、この鏡を持っている探偵は、推理などしなくてもよいのである。殺人があれば犯人を当てるし、なくしものはすぐに見つけるし、どうして、そうなったか?を聞いても即座に答えちゃう。
ある意味、探偵という職業そのものを不要にしてしまうほど最強なのである。ゆえに、この鏡を持っている女子中学生探偵・襟音ママエの前に解決できない謎なんて皆無なのである。
しかし、どうしてそんな身も蓋もないシチュエーションが本格ミステリになるの?と疑問に思うでしょ?本書の構成がおもしろくて、最初にママエが担当する三つの事件が描かれる。謎に対して即座に真相が示されるが、その答えに至る過程は省略されている。普通のミステリでは推理によって真相へ到達するのに対し本書では真相が先に与えられ、そこへ至る推理だけが後から組み立てられる。いわば本格ミステリを逆回転させたような構造なのである。ぼくは本書を読んで「medium 霊媒探偵城塚翡翠」を思い出した。霊媒によって犯人を知り、後付けでロジックを構築するという逆回転の構図が同じではないか。だがこれは本書のほんの導入部にすぎない。本書の眼目はここにはないのだ。
本書の第二部にいたって、この「魔法の鏡」をめぐって論理の可能性をおし拡げる試みが成される。前作「キャットフード」でも活躍した三途川理(さんずのかわ ことわり)、緋山燃(ひやま もゆる)も加わり限られた設定の中での論理バトルが繰り広げられる。「魔法の鏡」の使い方という、あり得ないまったくもって非現実な存在を中心に据え、それが各登場人物たちにどのような影響を与えるのかを究極にまで考察した展開になるのである。
鏡よ鏡と問いかけ(本書では、違った問いかけなのだが)望みのものを得るあの魔法のアイテム。実際にそれを手にしたら、さて自分ならどうする?あれもできる、これもできる、いや、そんなことはしてはいけない、でもやっぱりしてしまうだろうな。そういった試みとしての可能性を探る思考が生んだミステリが本書なのだ。あり得ない設定の中で完全に機能するロジック。入り組んだ謎が解きあかされるピタゴラスイッチみたいな大掛かりな、読者に大量の情報処理を強いるタイプの本格と比べると、本書はとてもシンプルに見えるかもしれない。だが、ここで描かれるミステリロジックはシンプルかつ機能美をかね備え、なおかつ可能性をも広げている。やっていることはなかなか凄いことなんだと思うのである。本書が本格ミステリ大賞を受賞したのもむべなるかな。正当な評価だとぼくは思うのである。
松本清張「野盗伝奇」
清張のスリリングな名短編「地方紙を買う女」にでてきたのが本書なのです。さわりはこんな感じね。
山梨県の地方紙『甲信新聞』に「野盗伝奇」を連載している作家の杉本隆治は、東京に住む潮田芳子という女性が「野盗伝奇が面白そうだから貴紙を読んでみたい」との申し込みがあったことを知る。あまりそういうことがなかったのでうれしくなった杉本は彼女に礼状を送る。だが、それから一ヵ月もたたないうちに、「小説がつまらなくなったのでもう購読しない」との断りの連絡が入る。物語も中盤に入り、これからおもしろくなるところなのに、この小説が読みたいといって購読した人がこのタイミングで断るのは腑に落ちない。なぜだろう?と訝る杉本の目に断られた回の載っている『甲信新聞』のとある記事が飛び込んでくる。
どうですか?これがきっかけでとある事件の全貌が明かされることになるのだが、この導入すごく魅力的でしょ?そこで本書なのである。清張初期の時代物であり、歴史物ではない完全オリジナルの伝奇小説、しかも読んでみるといい意味ですごく軽くスイスイ読めちゃう作品なのである。
こちらは、タイトルからも察せられるように伝奇風味の作品で、関ケ原直後の凄然とした時代に生きる乱波の世界を描いている。主人公がまた、いい男なんだけどちょっとひねくれているダークヒーロータイプで、読者の共感を撥ねつけるスタンスから物語が綴られていくのがおもしろい。だってこの男、徹頭徹尾ニヒルでクールなスタンスを崩さないのだ。美女に好かれてもなんとも思わないし、敵を撃つのに卑怯な手も辞さないのだ。話的には剣戟に美女の受難、そして連載物として興をつなぐための急な場面転換の連続で、清張さんが楽しんで書いていたのか、それとも苦しみながら捻り出していたのかと、違う意味でドキドキしながら読んだ。
清張時代小説は、歴史物しか読んでなかったので、こういう自由なオリジナル作品は新鮮だった。そこで冒頭で紹介した「地方紙を買う女」きっかけの話なのだが、たしかにラスト寸前の丁々発止の部分で読むのをやめるのは、なかなか難しい。短い作品だから、登場人物に愛着がわいてくる頃にはもう終盤、でもそこで読むのをやめようなんて思わない。清張がこの作品を後に自身のミステリ短編で引っぱりだしてきたのもわかる気がするのである。





