読書の愉楽

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西村賢太「どうで死ぬ身の一踊り」

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 西村賢太の師事する作家藤澤淸造は、大正時代の一時を流れ星のように駆け抜けた薄幸の人だった。性病から精神異常をきたし、警察の拘留や内縁の妻への暴行をくり返しあげくの果てに失踪、最終的には公園のベンチで凍死するというなんともお粗末な末路だった。

 

 西村氏は、そのほとんどの人が忘れさっている作家に盲目的な執着をみせる。月命日には石川県の菩提寺に墓参りに行き、自筆原稿、その他の淸造の手になる文章、また淸造について書かれた文章、手紙、唯一の本になった長編「根津権現裏」の署名無削除版、はては腐りかけている木の墓標まで、あらゆる物をコレクトしてゆく。その面では、彼には目に見えない糸をたぐりよせるようなキャッチ・ア・ウェーブが何度も訪れる。それはまるで人生にめぐりあう幸運のすべてを藤澤淸造がらみの出来事で使い果たしているようにも見えるのである。

 

 だがその反面、彼の人生の多くの部分は負の要素で彩られているといっても過言ではない。本書に収録されている「墓前生活」、「どうで死ぬ身の一踊り」、「一夜」の三編は、その淸造関係の出来事と、同居している女との相克を描いている。まるで天国と地獄。幸せが一気に暗転するその対比にカタルシスを感じてしまうぼくは変態か?何気ない一言がまねく修羅場。越えてはいけない一線を軽々と飛び越えてしまう西村氏の破天荒さに舌鼓をうつ。どうしてここまで何事も裏目に出てしまうのか。

 

 私小説を書くということは恥部を曝けだすに等しい行為だ。いってみれば自分を切り売りするに等しい。その行為をなんの衒いもなく、むしろ得意気に語りおこす西村氏の筆勢は、それがゆえにユーモアの片鱗をみせ、あくまでも快調だ。自己中心的でヒガミっぽく、少しでも非難を受けると一気に頭に血が昇ってしまい見境がなくなってしまう。いいわけと後悔の毎日の中で繰り返されるドメスティック・バイオレンス。あなた人間やめたほうがいいんじゃないですかと言いたくなってしまうほどに、それは非生産的でおぞましい。彼は愚かな行為をくり返す。何度も何度も何度も。だが、読者もそれを待っている。彼の痛烈で独特な罵倒と暴力を。

 

 まことにもって、笑止千万。しかし、それがやめられねえんだな。