読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

西村賢太「苦役列車」

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 西村賢太の本を読むのも、これで四冊目だ。はっきりいってどれを読んでもみんな同じ感触なのだ。一言でいってしまえば、人間的にまったくダメな男である北町貫多の面倒くさくて往生際の悪い日常を描いているだけの作品なのだ。だけども、そうとわかっていても読まされてしまうのである。なんなんだろうね、この吸引力は。
 
 ひがみっぽくて卑屈で、なのに変にプライドが高くてすぐに頭に血が昇って見境ない行動をとってしまう貫多。性犯罪を犯した父親のせいで、夜逃げ同然に生まれ育った町を飛び出し、中卒で日雇い人夫につき、その日その日をなんとか生きてゆく貫多。いってみれば、落伍者なのである。もうホームレス寸前なのだ。本書ではその貫多の19歳の頃を描いた「苦役列車」、四十代の頃を描いた「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」の二篇が収録されている。
 
 何度も書くけど、不思議とこのどうでもいいような華のないむさい男の日常が、一度読みだすとどんどんページを繰らされてしまうのである。「苦役列車」などは、開巻早々パンパンに朝勃ちした貫多の目覚めではじまる。なんともグダグダの導入部だ。真っ当な人間としての道徳や倫理感がまったく通用しないのが貫多。しかし、小説の中ではそういう行動をとる彼の心情の変化を冷静に分析するもう一人の貫多がいるのだ。どうしてそういう思考をとるのか、どうしてそういう行動をするのかを順序立てて説明するもう一人の貫多。放埓な行動と冷静な分析という山と谷の構造がリズムを生み、そこはかとないユーモアを感じさせる。何冊か彼の本を読んでる身としては、とんでもない行動や、とりかえしのつかない言葉が吐かれるのは重々承知しているし、それを待ってもいる。そこはいってみればちょっとしたカタルシスなのだ。そうやって紡がれる北町貫多の濃密でもあり空虚でもある爛れた毎日。暴言とあからさまな蔑視とやむことのないひがみと突然はじける暴力。こんな人間、実際に付き合うなんてことは金輪際むりなのになぜか読んでいると自然と笑えてくるから不思議だ。
 
 いまのところぼくは西村賢太の描く私小説世界に飽いてはいない。これからも続けて読んでいく。合わない人にはとことん合わない作風なんだろうけどね。