前回読んだ「天使」で、この著者に完全降伏したわけなのだが、本書を読んでまた頭を垂れた。
凄すぎる。あまりにもぼくが知ってる小説作法からかけ離れすぎて本書を読んでる間中、頭の中はフル回転だった。しかし、それが心地よい。感覚が研ぎ澄まされるような、不思議な高揚感だ。
本書には四つの短篇が収録されている。タイトルを並べてみると、
「王国」
「花嫁」
「猟犬」
「雲雀」
となる。これらの話は、時系列もバラバラだし、舞台もバラバラ、一見するとまるで関連ないようなのだが、それが全体を通して読んでみると非常に計算高く配置されているのだと感じられる。まず「王国」だがこれは時系列的には「天使」の中間に位置する。ここで登場するのは、ラストの「雲雀」で大活躍するオットーとカールのメニッヒ兄弟。ここではその二人がどういう経緯で主人公であるジェルジュの部下になったのかが描かれる。
次にくる「花嫁」はいわゆる「天使」の前日譚。ジェルジュの両親の出会いと別れが描かれる。ここで、ジェルジュの能力者としての並外れた力量の血筋が明かされるのだが、それがまたとても印象的なエピソードなのである。
「猟犬」では、歴史的事実として残っている元オーストリア、ハンガリー帝国皇帝のカール一世復位の顛末が描かれる。位置関係としては「天使」のあとの話である。ここでは「天使」にも登場した宿命の敵、ヨヴァンとの攻防がメインとなってくるのだが、これがまた著者らしく大いに盛り上げて落とすというような安易な構成にしてないところに溜息が出てしまった。まさか、こんな結末になるとは。
「雲雀」はすべての物語のエンディングとして位置する。育ての親である顧問官のスタイニッツが亡くなり、いわばくびきを解かれたジェルジュは「天使」で描かれた初恋の人ギゼラとの関係を再開しようとするが、彼女はスタイニッツの後任でジェルジュを敵視するディートリッヒシュタイン伯爵の妻でもあるのだ。一切のしがらみを清算すべく、ジェルジュは単身ディートリッヒシュタインの元へ赴く。この話のラストには快哉を叫んでしまった。なんと粋なエンディングだろう。全体としては、モノクロで統一された感のあるシックな味わいの世界なのだが、この「雲雀」のラストだけは痛快なコン・ゲームを描いた映画のラストのような爽快感に彩られて、感情が一気に解き放たれるような気分になった。素晴らしい。
何度も書くが「天使」にしろ「雲雀」にしろ、けっして読みやすい本ではない。これほど脳みそを使う小説もめずらしいのではないかと思う。だが、一旦この世界に馴染んでしまえばその魅力は半端でなく、がっちりと読む者の心をとらえてしまう。佐藤亜紀の小説を読むということは、未知の世界の扉を開けることに似ている。眠っていた感覚を掘り起こされる体験といってもいい。ほんとうに凄い作家がいたものだ。