読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

佐藤亜紀「天使」

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 一読して、ひれ伏した。こういう書き方もあるんだと素直に感心した。馬鹿の一つ覚えのように連呼してしまうが、恥を承知でまた皆川博子の名を出そう。ぼくが思うに、この佐藤亜紀こそ皆川博子の最右翼の後継者なのではないだろうか。

 本書は、第一次大戦を挟んだ混迷に満ちたヨーロッパを舞台にしている。そこで暗躍する異能者たちの攻防が硬質な文体で描かれるのだが、ぼくはこの作品ほど読者に媚びない本を読んだことはない。

 佐藤亜紀は、読者を顧みない。世界を構築しそこで物語を動かすのだが、彼女はいっさいの説明的記述をすっ飛ばしてフルアクセルで加速していくのである。歴史的背景、登場人物たちの思惑、そして彼らの具え持つ『能力』について普通ならなんらかの配慮がされるところを彼女は一切関知せず、どんどん話をすすめてしまう。そのスタンスは一貫していて、まったく揺らぐ事がない。ここで、ぼくはシビれてしまった。この感覚は皆川短編で何度も味わったことのある感覚だった。硬質なのにどことなく生々しい文体も懐かしい。ストリート・キッズのようなボロ屑同然のジェルジュが顧問官にひろわれて、生まれもった能力を統御する術を叩き込まれ、腕利きの諜報員として成長し、混迷に満ちた世界に翻弄される。本書のストーリーを要約すれば、たったこれだけで済んでしまう。だが、その簡単な骨組みに肉付けされたこの豊かな世界の情報量はどうだ。それは驚くべき手腕であり、稀に見る才能だと言わざるを得ない。

 ぼくが感嘆したのは、その『能力』の描写である。かつてこれほどサイキックを感覚的に描いた本があっただろうか。これはまったく未知の体験だった。彼女のあやつる言葉の奔流は、未知なる感覚をそこにあるが如くにページに縫い付けていく。読者はそれに翻弄され、天地を逆さまにするような酩酊感に巻き込まれ、絡めとられる。これは読んでみなくてはわからないのだが、読書をしていてこういう体験をしたのは初めてだった。言葉を連ね、こういう芸当ができるということに正直驚いた。まったく素晴らしい。

 というわけで、賞賛のみの感想になってしまったが、これが正直なぼくの気持ちだ。この作者はまったくもって化物である。すごい作家がいたものだ。