ここで語られるのは二つの時代の物語。一つは1600年初頭のオスマン帝国。もう一つは第一次大戦時のドイツ、Uボート艦内。このかけ離れた二つの時代の物語が同時に語られる。いったい、どうゆうこと?って思うでしょ?ぼくもそうでした。だって、300年の時を超えて何がどう重なるっていうのか、まったく見当もつかないでしょ。読了してみれば、まあそこはちょっと強引な感じなんだけどね。でも、こういう話を書こうっていうバイタリティが凄いでしょ。現存する国内の作家で、これだけの物語を書ける人はおそらくいないと思う。不勉強なぼくなんか、神聖ローマ帝国だとか、本書の舞台となったオスマン帝国だとかいう歴史の彼方の事は、もっぱら皆川作品で勉強させてもらってるわけなのです。
今回だって、Uボートが第一次大戦の頃から存在したっていうことを知らなかったし、オスマン帝国がキリスト教徒の子どもを強制徴募(デウシルメ)して、無理やりイスラム教へ改宗させ、イェニチェリ(歩兵軍団)として皇帝に仕えさせていたなんて、まったく知らなかった。高校の時、世界史で習ったかな?まったく憶えておりません。
壮大なといったら、あまりにも月並みでまったく語彙の少ない自分にあきれてしまうのだが、でもぼくはこの単語しか思い浮かばない。ほんと、壮大なお話だ。歴史の大渦と、登場人物たちが織りなす小さな渦。それらが四重になって混ざり合い、読者は、翻弄されまくることになる。ぼくも、ただただ圧倒された。
壮大なといったら、あまりにも月並みでまったく語彙の少ない自分にあきれてしまうのだが、でもぼくはこの単語しか思い浮かばない。ほんと、壮大なお話だ。歴史の大渦と、登場人物たちが織りなす小さな渦。それらが四重になって混ざり合い、読者は、翻弄されまくることになる。ぼくも、ただただ圧倒された。
ここには、歴史が刻んだ時と、登場人物たちが刻んだ時が無限に広がっている。それは、ある意味宇宙的な広がりを見せ、その空虚さ虚無感が恐ろしいくらいなのだが、彼らの孤独はそんなものじゃない。永久の不可視性がまねくどうすることもできない孤独。彼らは自らの来し方を記してゆく。誰もが信じられない驚異の物語を。そして、彼らは時間の無いところに移ってゆく。
皆川博子女史は、もう90歳に手が届く御歳だ。もう、ただただ感嘆しかない。本当に彼女が書く小説は至宝だと思う。それをリアルタイムで読めることの幸せをかみしめる。これから、どれだけの新刊を読むことができるのだろうか。ぼくは、ただただ、そのことを考えてしまうのである。