読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

山田風太郎「くノ一紅騎兵」

くノ一紅騎兵 忍法帖 (角川文庫)

 久しぶりの忍法帖。角川の忍法帖シリーズはあと「忍法女郎屋戦争」一冊を残すのみとなってしまった。まことに悲しい限り。ぼくはほとんど再読というものをしないのだけど、風太郎の「伊賀忍法帖」「魔界転生」「忍法剣士伝」の三冊だけはしっかりくっきりと再読したのである。おそらく今後、「柳生忍法帖」「風来忍法帖」「銀河忍法帖」「忍法封印いま破る」などは必ず再読すると思う。

 で、それだけ好きな山田風太郎忍法帖が残すところあと一冊になっちゃったけど、本書を読んでみたわけなのである。収録作は以下のとおり。

 「くノ一紅騎兵」
 
 「忍法聖千姫

 「倒の忍法帖

 「くノ一地獄変

 「捧げつつ試合」

 「忍法幻羅吊り」
 
 「忍法穴ひとつ」

 以上七編。表題からもわかるとおり、本短編集はくノ一を扱った作品ばかりが収録されている。自然、そっち系の話ばかりになってしまうのは仕方がないとして、やはり風太郎しっかり読ませます。これは彼の作品のほとんどにいえることなんだけど、おそろしく荒唐無稽な事を描いているにも関わらず、風太郎の描く物語はほぼ史実に即したものになっているのだ。表題作からして、上杉景勝が寵愛した美少年が子供を産むという破天荒な話なのに、これが史実とリンクしているからホント驚く。
「倒の忍法帖」で描かれる家康の六男、松平忠輝の顛末も素晴らしい。剣豪大名であり破天荒な行状で有名なこの『鬼っこ』の前半生と後半生の手のひら返したような人の変わりようや、この時代にめずらしい92歳まで生きたという事実を逆手にとって、こんな物語書いちゃうんだから、あんたやっぱり天才だ。こんなすごいことしてるのに、描かれていることのバカバカしいことといったら。普通こんなこと思いつかないし、ここまで飛躍できない。「忍法聖千姫」なんて、目ン玉飛び出ちゃいますよ。ダメな人はこの話まったく受けつけないだろうね。普段、どんなことでも気にせず読んでいくぼくが、ちょっとページ閉じちゃったもんね。

 かつて、江戸川乱歩風太郎に「きみはニヒリストか」といった事があって、その時風太郎は「そうではありません」と返したらしいが、後年このことをまた他の人に指摘され、自分のやってきたことをふり返って、このごろは、まさにその通りと肯定せざるを得ない気持ちになっていると認めたという話を今読んでいる米澤穂信の「米澤屋書店」で知ったのだが、「忍法聖千姫」や「捧げつつ試合」なんか特に感じるのだが、風太郎の虚無主義がてきめんに発露されていて、いっそ清々しい。どうしてそんな結末にしちゃうのと思ってしまう。でも、それが滑稽なのに凄惨で無惨だから強烈にインプットされてしまうのだ。

 現代ではこれらの話は、まず書かれることはないだろう。「捧げつつ試合」なんて、女性が憧れの男性の切り落とされた脈動するアレを左手に形見放さず握って、追手と死闘を繰り広げながら江戸へひた走るんですよ。しかし、片手を落とされ、ボロボロになってまでそれを届ける相手は、男性が好いた別の女性だっていうんだからすさまじい。

 といって山田風太郎はエログロだけの作家じゃないのです。彼は、小説をとことんまでエンタメに昇華したまさに天才なのであります。現代の第一線で活躍する作家たちがこぞって絶賛していることからも、それがわかろうというもの。現にいま読んでいる「米澤屋書店」で一番言及されている作家が、この山田風太郎だというのもそのことを立派に証明しているんじゃないの?実はもう一人飛びぬけて言及の回数が多い作家がいるのだが、それは原本で確かめてみてね。