読書の愉楽

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L・V・S = マゾッホ「聖母」

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マゾッホといえば、被虐的な性愛を意味するマゾヒズムの語源となった作家として認識しているだけで、それ以上でも以下でもない評価しかなかったのだが、本書を読んでその認識を少しあらためた。

 

本書の舞台はロシアの片田舎。農夫のサバディルが森を逍遥しているときにこの世のものとはおもわれない美女に出会うところから物語は幕を開ける。この美女こそタイトルにもなっている聖母マルドナなのだが、たちまち彼女に魅了されたサバディルは彼女の住む村へと通いつめることになる。このマドルナ、神の御遣いとして人々に崇められ信仰の的となっているのだが、宣託があるわけでもなく奇跡を起こすわけでもないのに、盲目的な信心をあつめている。それは単に彼女の威圧的でもある漲る自信からあらわれるカリスマ性によるものなのだから驚いてしまう。しかしその力は絶対で、なんとなれば裁判官をも篭絡してしまうほどなのである。だが彼女はまやかしの教祖ではなく、自らを神の遣いと信じているれっきとしたホンモノの教祖。だから本書で描かれるのは邪教集団の不気味さでもなく異端宗教の断罪でもない。

 

本書で描かれるのは単なる愛の物語だ。聖母マドルナと農夫サバディル。この二人を取り巻く状況が二人を近づけ、遠ざける。永遠に。

 

聖母としてマルドナを奉る家族たち。狂信的な信者であるバラバッシュ。多情で淫乱な天使のような顔をもつ人妻ソフィア。狂言回し的な存在の大食漢スカロン。後に新聖母として奉られる愚かな未亡人フェーヴァ。そして、物語の要となる美少女ニンフォドーラ。これらの役者が出揃い物語は、残虐でおぞましい結末へとなだれ込んでゆくのである。

 

本書は意図的なのだろうが、すごく読みやすく物事の結末をぼかしたままストーリーが進められてゆく。

 

それは、全体像としてこの物語世界に含みをもたせ、あらゆる可能性を示唆する余裕をもたせている。そうすることによって、現実味と幻想味がうまくブレンドされこの物語にお伽話的な印象も与えているのである。作家マゾッホの真価はまだ見極められないが、ぼくの中でこの作家の評価があがったのは確かだ。

 

この感覚は「サトラップの息子」を読んだときのアンリ・トロワイヤに感じた感覚と同じだ。この人がこんな本を書いていたのかという驚きだ。これだから、読書はやめられないのだ。