読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ジャック・ケッチャム「隣の家の少女」

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 ジャック・ケッチャムの本は数冊読んだが、本書を越える話はなかった。ドメスティック・バイオレンスの話も、人を食う話も、妊婦を監禁する話も、なんとも思わなかった。しかし本書は違った。

 これほど無残な話は読んだことがなかった。「ミザリー」なんか足元にもおよばない救いのない話だ。この気持ちは何なんだろう?フィクションだとわかっているのに、この心に重くのしかかってくる澱のようなものは何なんだろう。

 本書を読了したあとには、なんともいえない無念の気持ちが残っている。

 途中、囚われの身となったメグの心中を察したディヴィッドの記述にこんな件がある。どうか引用を許されたい。

 『メグがかかった罠は、ルースや子供たちを、メグ自身が人間であるのと同じ意味で人間だと思い込みしたがってある程度のところまでしかエスカレートしないだろうとたかをくくったことだった。ある程度でとどまるだろうと。だがそうではなかった。連中は、同じ人間ではなかったのだ。メグはそれをさとった。しかし手遅れだった。』

 ここで、ぼくの背筋は凍った。先が見えた瞬間である。救いようのないラストが待っている。だが、それを信じたくない気持ちが強かった。どうか、そうならないでくれ。ぼくが想像しているラストに辿りつかないでくれ。こんなことが許されていいはずがない。こんなことがたとえフィクションの世界でも起こっていいはずがない。いつのまにか、ぼくは激しく感情移入している自分に気づいた。

 だが、ガタガタと揺らされ、おおきく喘ぎながら辿りついたところは不毛の地獄だった。ああ、なんということだ。こんなことになるなんて。神様ぼくが間違ってました。こんな本を読むべきじゃなかったんです。こんな気持ちになったぼくは、いったいどうしたらいいんでしょうか。

 無神論者のぼくが神に助けを求めてしまった。それほど、本書は衝撃的だった。

 いまだに、この本を越える無残な話は読んだことがない。宮部みゆき女史も、本書は本棚の裏側に隠して目につかないようにしているらしい。

 未読で興味を持った方は、どうか心して読んでください。読んでしまえば、あなたの心は大きく影響を受けることになるでしょう。