蔵の中にある死体が気になっていた。どうやってその死体と関わったのかはわからないのだが、とにかくぼくはその死体を発見されないように細心の注意をはらっていた。
だが、秘密は暴かれるためにある。ぼくの努力は報われることなく、秘密が秘密でなくなる日は近づいていた。
蔵の中の死体はあまりにも醜悪な天狗の死体だった。だが、天狗といっても俗に伝えられているような山伏の装束に一本歯の高下駄などは身につけておらず、全身強い茶色の毛に覆われた獣のような姿だった。
腰が曲がっていてよくわからないが、背丈はゆうに二メートルをこえてると思われる。大きな手の指にはすべて金色の輪がはまっており、股間にはおそろしく大きい一物がぶら下がっていた。
死体は腐っていた。鼻と口と耳からどす黒い汁が染み出し、股間の長大な一物からもわけのわからない液体が流れだしていた。そして、その汁がすさまじい臭気を発しており、その臭いが鼻に届くと衝撃で息ができなくなるほどだった。もう限界だ。死体は蔵が隠してくれるが、臭いは消すことができない。
ぼくは蔵に火をつけてすべて燃やしつくそうと思った。ちょうどポケットに入っていた場末のキャバレーのマッチをすって、その場で火をつけることにした。
折りしも、その日は風が強くマッチはなかなか火がつかなかった。ぼくは何本もマッチをダメにした。
最後の一本にようやく火がついたと思ったら、それは強い風にもっていかれて火がついたまま遠くへ飛んでいってしまった。それがもとで町は業火に見舞われた。すべてが燃え、すべてが灰燼と化した。焼け跡から次々と天狗が生まれた。そうか、天狗はこうやって現出するのかと感心していたら、蔵の中の天狗の死体のことに思い至った。しかし、天狗の死体は消えていたのである。あんな醜悪で汚らしい死体が、いったいどこへ消えたのか不思議で仕方なかったが、まあ第一の懸念が消えたということで一安心。ぼくはコタツに入って熱いほうじ茶を啜って一息いれた。
しかし、そこでハッと気がついた。ぼく以外の人々はいったいどうなってしまったんだろう。この世からいなくなってしまったんじゃないのか?いてもたってもいられなくなったぼくは、傍においてあったビニール袋にみかん三個と缶切り、刃の欠けた鋏、そしてチュアブルの下痢止め薬を入れて旅に出た。
永遠に続くかと思われた旅の中で、ぼくは多くの天狗に助けられた。そして多くの天狗を助けた。天狗の腹痛にはみかんの皮がよく効いたし、鋼のように硬い鼻は刃の欠けた鋏で研ぐとより一層屹立して勇壮に見えた。また、天狗が必ず罹る年に一度の大病にはチュアブルの下痢止めがテキメンだった。
そうして多くの天狗配下を引き連れたぼくはやがてノルウェーに辿り着いた。おいおい、いったいどれだけ歩くんだよと思ったが、とにかくぼくは総勢三十名の天狗と共にノルウェーに到着した。
だが、それだけ旅をしていても、ついに人間とは出会わなかった。やけくそになったぼくは天狗たちと共にヴァイキング株式会社をたちあげ、七つの海を渡るこの世で唯一つのヴァイキング船の船長兼社長となった。
世の中は冬の時代だった。七つの海はすべて極寒の氷海と化していて、ぼくらの商売はあがったりだった。甲板の上では二人の天狗が凍死し、ぼくももう少しで意識を失うところまでいった。身体が芯から冷えてブルブル震えた口から洩れる息が凍って足元に転がった。両手が冷たさのせいで動かせなくなってきた。ああ、ぼくもこのままここで命を失うのか、まだまだしたいことがいっぱいあったのにと悔いを噛みしめているところで目が覚めた。
ふとんの外に出ていた両手が氷みたいに冷たくなっていた。