表紙の女性は本書の著者の母親である。ダイナマイト心中で身体が吹っ飛んで亡くなったそうな。あまりにも壮絶な死ではないか。実母がそんな死に方をするなんて、ちょっと想像できない。
現場は、悲惨な状態だったらしい。飛び散った内臓が木からぶらさがっていたそうな。
そんな特異で衝撃的な体験をした著者は、岡山の片田舎から上京して、夜の街でさまざまな人に出会いもともと素養はあったから絵のほうで糊口をしのぎ、やがて頭角を現し夜の街から性文化へと時代の流れにそって名前をとどろかせてゆくことになる。
とにかくこの人の茫洋とした人となりに集ってくる人々の凄いこと。まるで綺羅星のごとき文化人たちが関わってゆく。ましてそこに挿入される数々の伝説。いやあ、おもしろい。時代の猥雑さゆえのどんぶり勘定的な大雑把さとでもいおうか。なんでもかんでもが昭和というギラついて騒々しくて、光輝いているのに闇が怖いような、そんななんでもあり的な筒井康隆的なエピソードがどんどん繰り出されてくる。
時代の流れというか趨勢というか時流というか、とにかくそういう世の中の大きな動きの中にカチっと音がするくらいピッタリはまってしまったのがこういう人たちなのだろうと思う。
しかし、ダイナマイトが普通に手に入る環境ってどうよ?それで魚を獲ったりとか、クロコダイル・ダンディーかよ!って言っても知っている人あまりいないか(笑)。いまの現代のこのコンプライアンスとかリスクマネジメントとかSDGsとか言っている世の中ではとうてい考えられないことですよ。
だから、そういう時代だからこその伝説なのだ。キャバレーの看板描き、イラストレーター、エロ本の編集長とあれこれ変遷してゆく中でのエピソードはあまりにも盛沢山で、ちょっと調べてみたらこの本、映画化されてんのね。知らなかった。いつか観てみたいものだ。
とにかく、ここに描かれるあれやこれやはいまでは到底通用しないものばかりで、だからこそのエネルギーにあふれ、激しい脈動を感じとれるのではないかと思うのである。そして、その熱は忘れて久しい思いの丈をグングン伸ばしてしまうという結果を招く。いきおい、ぼくはいつもより居丈高に世の中を渡り歩いてゆこうという気構えに満ち満ちて、大きく一歩を踏み出しているのである。
ああ!なんて素敵なダイナマイト!
