悲しい顔をした子供がいた。歳の頃は三つ四つ、鼻水で汚れた顔をして恨めしげな目でぼくをみている。
ぼくは、どうしたの?と声をかけようとするのだが、どういうわけか声が出ない。必死にしぼりだそうと
すると、アー、ウーと意味不明な唸り声になってしまう。
このままだと絶対この子は不幸になってしまう。なんとかしてぼくが今の状況を打破しないといけない。
根拠のない使命感にとらわれたぼくは、その子に手を伸ばして安心させてあげるために両手で抱きしめよ
うとするのだが、不思議なことに一歩も歩くことができない。あともう少しで手が届くのに。もう少し、
もう少しと頭で念じて必死に手を伸ばして、なんとかその子の肩に触れられそうになった時、身をひるが
えして、子供が駆け出した。
あ。
ちょっと。
気持ちは追いかけるが、ぼくの身体は動かない。しかし、必死で念じ続けているうちに、やがて歩けるよ
うになる。ぼくは子供が駆けていった方向へむけて走りだす。行く手に古びた学校の校舎が見えてくる。
記憶の片隅でそこが以前ぼくが通っていた学校だとわかるが、どこか違和感がある。しかし、どこが違う
のかがわからない。門を抜けると、子供の後ろ姿が見えた。裏の体育館に向っている。ぼくは、水の中を
泳いでいるようなもどかしさを感じながら、後を追いかける。
体育館に入ると、なぜか真ん中が刳りぬかれていて、階段が下に続いている。ああ、そうだった、この下
に降りると、大浴場があったんだと記憶がよみがえる。
どうやら子供も階段を降りていったようだ。二十段ほどの階段を駆け下りると、なぜか天井と床の隙間が
50センチほどしかない。どうしてこんなことになってるんだ?と思いながら匍匐前進で進んでいくのだ
が、だんだん隙間が狭くなっているらしく、顔を横向けにしないと進めなくなってくる。上からの重圧が
耐えがたくなり、押しつぶされそうな恐怖を味わっていると、行く手にほのかな光が見えてくる。薄明か
りと湯気を通して、風呂に入っている人たちが見える。
しかしそこまで辿りつけそうにない。この狭くなってゆく隙間を通り抜けることができないのだ。
子供は?あの悲しい顔をした子は?
進退きわまったぼくは、その場で気を失う。
最後に感じたのは、風呂場から漂ってくるほのかな入浴剤の匂いだった。