午後十時に叔母が倒れたとの連絡が入り、急遽病院に向かう。家にはなぜか誰もいないので、ぼく一人で出かけることにする。外はそぼ降る雨。駐車場がすぐ近くにあるので、傘をもたずにマンションを出た。
夜の底が赤くなり、霧のような冷たい雨が顔にかかる。叔母の身に何があったのか、驚いてよく聞いてなかったが脳血栓だと言ってたんじゃなかったか?だとすると、命が助かっても後遺症が残るかもしれないなと考えながら車に近づいていくと、暗い車内に誰かいてサッと身を伏せたような気がした。
思わず後ずさる。
予想もつかない出来事に心臓がバクバクする。ロックのかかった車内に誰かいるはずがない。いるとすれば、それはこの世の者じゃないってことだ。
どうする?車に近づくのが怖い。さっきはいきなりだったのでよく見てなかったが残像を思いだすと、子どものような影だった。まさか小さい子がロックのかかった車の中にいるはずがない。
もう一度暗い車内を見る。何もいない。運転席と助手席の窓を通して向こう側がうっすら見えている。いや、ちょっと待て。運転席の窓の下側に何か白いものがモコモコと動いてないか?目がしょぼしょぼしてよく見えないが、確かに何かいる。もう少しよく見ようと、もう一歩に車に近づく。
すると、いきなりそいつが頭をもたげた。
暗いはずなのに、妙にはっきりとその姿が見える。そいつは、白い顔に爬虫類の目をしていた。頭に毛髪はなく、ぬめぬめと鈍く光ったスキンヘッド、口はなく異様に大きな鼻が顔の真ん中についていた。
鼻から大量に吐き出される呼気によって、窓がいっぺんに真っ白になる。
ぼくはその場に凍りついた。まるで動くことができない。気がついたら、息をするのも忘れていた。
どうすればいい?こんな化物どうしたらいいんだ?
異常事態に対処することができないぼくの肩を誰かが叩く。
トントン。
飛び上がった。驚いて死ぬかと思い、振り向く。が、誰もいない。
だが、ふと視線を下げると子どもが立っていた。
その子が、また異様だった。
いがぐり頭に真っ白な目、口はだらしなく開けられ、中は真っ黒だ。そして一番気味が悪いのはその子の腕が身体の大きさにくらべて異常に長いというところ。なぜなら、その子は立っているにも関わらず、肘が地面についており、そこから先がぼくの両側にだらんと延ばされているのだ。
声が出ない。悲鳴をあげようとしているのだが、喉が絞られていて出すことができない。ぼくは必死に頭の中でお経を唱えた。昔、金縛りにあったときそうやって脱出したことがあったのだ。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛。
そう唱えながら、ぼくはギュッと目をつむった。こめかみを汗が流れ落ち、口の端からヨダレが垂れる。
そして目を開くと、そこには何もいなかった。気味の悪い有象無象は跡形もなく消えていた。
だが、ぼくにはわかっていた。
叔母が亡くなったということが。