読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

国枝史郎「神州纐纈城」

 この本の存在を知ったのは小林信彦編の「横溝正史読本」でだったと思うのだが、ちょっと記憶が定かではない。でも、横溝正史半村良尾崎秀樹とともに講談社国枝史郎伝奇文庫全28巻の編集委員に名を連ねていることからしても、おそらく間違いではないだろうと思うのである。ちなみにその国枝史郎伝奇文庫は以前にも紹介したことがあるのだが、これは古本コレクターとしては垂涎の的で、死ぬまでに全巻揃えたいと願っているのだが、いまのところ11冊と半分にも満たない状態なのである。

 

その中の「神州纐纈城(上下)」はちぃらばさんのご好意で譲っていただいた。

 

イメージ 1

 

いいですねぇ。横尾忠則の表紙が素晴らしい。しかし、ぼくが実際読んだのは昭和57年に刊行された六興出版の単行本なのである。

 

イメージ 2

 

手に入れてすぐに貪るように読んだ。そして困惑した。さほどおもしろくもなかったのだ。おどろおどろしい雰囲気は横溢しているものの(人血で染めた纐纈布、富士の裾野にいる殺人鬼、癩病ハンセン病)に犯されている纐纈城の仮面の城主等々)それが物語をうまく盛り上げているようには感じられなかったのだ。本書を読んだとき、ぼくはまだ二十歳そこそこだった。もしかしたら、この壮大な伝奇小説をしっかりと受け入れるキャパがなかったのかもしれない。山田風太郎で伝奇物に慣れ親しんでいたと思っていたのだが、どうもそれは勘違いだったようだ。若気のいたりといおうか、未完で終わっているというところも気にくわなかった。ここまで読ましておいて、そりゃないだろうと思ったのである。いやはや。本当に本というものには出会いがあって、タイミングがある。読む時期というものがあるのだ。おそらく本書を今読めば、また違った感触を得られるのだろう。きっとそうなのだ。だから、ぼくは本作に対して公平な評価を下せていないのだと思っている。

 

 だったら、今読めばいいんじゃないの?って思うでしょ。それがなかなか出来ないんだよね。再読という習慣がないから、同じものを二度読む気になれないのだ。それなら、未知の作品をよむべきだと思ってしまうからいけません。

 

 というわけで、この伝奇小説の最高傑作といわれる本書、はやくに読んじゃあいけませんぜ。ものの道理をわきまえて、世の理(ことわり)をしっかりと身につけた不惑を過ぎてから読めばいいんじゃないでしょうか。

 

 ぼくはそう思うわけなのでございます。