名前をよばれて返事をしたら、夜になった。振り向いた先には、泣いてる子どもがいた。
ぼくは左手を強く握りしめて、手のひらに食い込んだ爪が痛くて涙を流していた。
ゆっくりと子どもが近づいてくる。大きく口を開けて、両手で目を覆って、まるでマンガに出てくる泣い
てる子どもそのままだ。夜はきめ細かく浸透していく。景色のなかに、大地のなかに、あの子の髪の毛の
なかに。子どもの泣き声は大きく、一種のサイレンのようだ。しかし、ぼくにはわかっている。あの子の
泣き方はフェイクだ。現に涙は出てないじゃないか。大きな声だけで、まるで威嚇するように泣いてる自
分を主張している。
ぼくは左手が気になる。このままだと自分の爪で手のひらを傷つけてしまうだろう。だが、力を抜くこと
はできない。左手を開くことはできないのだ。どうしてかは、わからないが夢の中でそういう風に決まっ
ているのである。子どもは相変わらず、ぼくに向かって歩いてくる。だが、一向に二人の間の距離は縮ま
らない。どうやら、そういう設定らしい。
やがて、夜がしたたりはじめる。飽和状態になった夜が、そこらじゅうから染み出てくるのだ。
このままだと、夜に溺れて死んでしまう。気は焦るのだが、ぼくは動けない。子どもが近づくまでは動い
ちゃいけないことになっているのだ。焦る気持ちと、わずかの恐怖。じくじくと染み出てくる夜は、かな
り濃厚だ。これではまるでディックの悪夢世界だなと思ったところで目が覚めた。