読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ヒトサライ

 こんな夢をみた。
 
 ぼくは誰かに連れられて、人っ子ひとりいない街の大通りを歩いている。手を引く人物が誰なのかは、その時点ではわからない。しかしぼくに不安はなく、気持ちはすごく満ち足りている。

 

 叔父さん?それともお父さん?見上げるぼくの目線からは顔が暗い影になっているので特定できない。

 

 しかたなく目を転じて周囲を見回してみる。結構大きな繁華街らしいのに不思議と誰も歩いていない。

 

 軒を連ねる店はみな開いているようだが、人の気配が皆無だ。

 

 釘抜き店、うつぼ店、十二階店、弁解店、巻物店、うわばみ店。色とりどりの店が目に楽しい。

 

 ぼくは手を引く男の人に向かってたずねてみる。

 

 「どこにいくの?」勢いよく出た声は、尻すぼみになった。

 

 なぜなら、その人の顔がぼくが声を発した途端に見えるようになったからだ。

 

 知らない人だった。見たこともない顔だ。頭の禿げ上がった五十前後の目の小さい男。いや目が小さいというのは語弊がある。そこにあるのは目ではなくて穴だった。黒く小さいビー玉くらいの大きさの穴。

 

 ゾッとした。思わず手を振りほどこうとしたが、それは叶わなかった。

 

 男は、及び腰になったぼくを引きずるようにして、ずんずん歩いてゆく。

 

 「おっちゃん、だれ?どこに行くの?ぼくこわいよ」精一杯声を張りあげ抵抗するが、大人と子どもでは力の差は歴然としている。
 
 やがて、道は複雑に入り組んだ路地のようなところに入り込んでいった。普通の家よりは数段高い木の塀やブロック塀。両手を伸ばせば、両側の塀に触れることができる細い道。空もだんだん曇って薄暗くなってくるし、腐ったような変な臭いがしてくるし、誰もいないのに誰かの目線を常に感じるのはどうしてだろう?

 

 命の危険を感じる。こいつはヒトサライだ。新聞を賑わしているあの男だ。ヒトサライは、可愛くて可愛くてどうしようもなくて自分の孫を食べてしまった男なのだ。残ったのは、小さい右足首だけだった。

 

 自分の孫を食べてしまった男は行方をくらまして、やがてヒトサライとしてまた帝都を騒がすようになった。これじゃまるで小野不由美の「東亰異聞」みたいだなと思ったがおそらくそうなのだろう。

 

 「おじさん、たすけて」思考とは別に切羽詰った声が出た。男は振り向きもせずどんどん進んでゆく。

 

 夜がはじまる。西の空を残して天球が暗く変色してゆく。ぼくの脳裡に母の顔が浮かぶ。まだ赤ん坊の弟と父親も。やさしいおばあちゃんと親切な伯母ちゃんも。すると、ぼくを引っぱっていた男が歩みを止めた。到着したのは、大きな銭湯だった。まるで『千と千尋』だなと見上げて思う。何階建てかわからないくらい高いところまで建物が続いている。あたりにもくもくと白い湯気が立ち込めてくる。それが濃くなってまるで濃霧のようにぼくを取り残し周りのすべてが消えてゆく。ヒトサライの気配も消え、いつしか強く掴まれていた手も自由になっている。恐怖は去り命が助かったという安心感がドッと胸を満たす。

 

 なぜか、ぼくはもう大丈夫なんだと信じることができた。

 

 そこに顔があらわれる。母だ。満面の笑み。よかった。助かった。ぼくは湯気で見えなくなりそうな母に歩み寄る。しかし、母はなぜか斧を持っていた。しかも刃先は赤黒い血を滴らせている。

 

 この人は、ぼくを助けてヒトサライをやっつけたのだろうか?

 

 でも、笑顔が気になる。どうして、母はこんなに笑っているのだろう?