もともとぼくは清張のことは社会派の推理小説家ぐらいにしか思っていなくて、水上勉なんかと一緒にして、まあ読むことないなと勝手に決めつけていた。でも、こうやって親しむようになってこの人が時代、歴史物から出てきた人だということを知って、二度驚いたのである。
これまで何冊か短編集を読んで清張の時代物に接してきたが、彼の小説家としてのストーリーテリングがこのジャンルでも十分発揮されていているのを実感した。本書はそんな清張の歴史物中心の短編集なのであります。ラインナップは以下のとおり。
「調略」
「三位入道」
「陰謀将軍」
「腹中の敵」
「群疑」
「武将不信」
「特技」
「面貌」
「戦国権謀」
歴史物を読むといつも思うのだが、今の世の人が何百年後にその時代の作家によってこうして歴史上の人物として小説の題材に選ばれることがあるのだろうか?同時代を生きた人で歴史に名を残す人はもちろん沢山いるが、こんな一般に知れ渡っていない人でもなんらかのエピソードを残して、こうやって後代に物語として甦っているのに今の時代のあまり有名でない人でも、そういう取り上げ方をされることがあるのだろうかと思うのである。文献や史書に残っていることを繙いてこうして歴史物というジャンルで小説を書いているのだろうが、いったい誰がそういう選ばれし人になるのだろうか。そういうスポットライトは誰に当たるのだろうか。また、こんなに名を残す信長や家康と同時代に生きた人は、どんな思いで彼らを見ていたのだろうか。
史実と作家の想像力や解釈が煮詰まったのが歴史小説だと思っているぼくには、この世界に何人もの信長や家康がいて、彼らはみなそれぞれすべてにおいて興味深い。だから何度接しても何度同じ場面に出会っても新鮮でおもしろい。史実としての結果がわかっているにも関わらず、その道行にハラハラしたりする。まして、初めて知る人物のエピソードは無類におもしろいのである。さきほど、一般に知れ渡っていないと書いたが、もちろん本書で取り上げられている武将たちは有名な人ばかりだ。一般的でないという意味で無名なのである。例えば、ぼくの仕事の同僚に徳川家康や織田信長を知っているか?と聞けばもちろん知っていると答える。しかし、丹羽長秀や最上義光と聞けばおそらく知らないだろう。柴田勝家でもどうかと思う。
以上は余談だ。本書を読んでいる間ぐるぐると頭の中で考えていた。清張は歴史物はお手の物だったようで、様々な史実をうまく切り取って作品に仕上げている。先日読んだ「殺意」の中の「通訳」でも村木嵐「まいまいつぶろ」で話題になった徳川家重が描かれていたが本書でも昨年読んだ「駒姫 三条河原異聞」の駒姫の話なんかが出てきて、ぼくの中ではとてもタイムリーだった。
歴史に詳しい人には、ありきたりな題材なのかもしれないが、本書に収録されている9編すべておもしろかった。知っていることでも、語りが変われば違う風景が見えて楽しいし、おもしろい。短い作品ばかりだし、有名どころも多数出演しているし、歴史にそれほど詳しくない人でも楽しめるのではないだろうか。そうそう、「面貌」という短編では、あの松平忠輝が取り上げられているが、少し前に読んだ隆慶一郎の「捨て童子・松平忠輝」の爆裂ヒーローの面影はまったくなく、こちらはなんとも卑屈でさびしい忠輝だった。これだけをとっても書く人の解釈次第で歴史上の人物が様々な顔を見せることがわかる。
だから、歴史物はおもしろいんだよね。
