『伝奇』という言葉には、ロマンがある。今の時代にあって、『伝奇』が脚光を浴びることはまずないだろうが、それでも『伝奇』には物語の真髄を世に流布してきたという確かな実績があり、それが積み重ねてきた連綿と続く歴史は、それ自体がすでに『伝奇』と成りえているといえるだろう。
どうしてこれほど『伝奇』に対して大言壮語な物言いをするのかというと、曲りなりにもぼくが本好きになった理由の大元が山田風太郎の「伊賀忍法帖」を読んだことに端を発するからなのだ。小説素人のぼくは最初っから小説の神様の神技に酔いしれ、『伝奇』の洗礼を受けたというわけなのだ。
ま、本書に関係ない話はこれくらいにして、感想いってみよう。本書には十編の小説とエッセイと評論が一編づつ収録されている。タイトルは以下のとおり。
「影打ち」 えとう乱星
「異聞胸算用」 平山夢明
「笑い猿」 飯野文彦
「五瓶劇場 けいせい伝奇城」 芦辺拓
「邪鬼」 稲葉稔
「阿蘭殺し」 井上雅彦
「秘法 燕返し」 朝松健
「蘇生剣」 楠木誠一郎
「柳と燕 暴君最期の日」 荒山徹
「評論 闇を穿つ想像力 伝奇という方法論」 末國善己
ま、突出してすごい作品もなかったのだが、一作品を除いてすべて満足のいくおもしろさだった。ダメだった一作品についてはあえて言及しないが、これはちょっと酷い。一昔前の子ども向け特撮物みたいに稚拙な印象を受けた。登場人物たちはかなり豪華なんだけどね。
印象に残ったのでは、史実として記録のある田沼意知の殿中刺殺事件の顛末を伝奇的手法で描いた「邪鬼」、時代物でさえもその特異な体質が物語に滲みだしている「異聞胸算用」、実在していたのか存在がはっきりしない曾呂利新左衛門を描いた「笑い猿」、そして短編でなくて連作でもいいから一冊でまとめて読みたい「五瓶劇場」。
伝奇っておもしろい。もうその字面みただけでワクワクしてしまう。しかし、なにをもって『伝奇』というのか明確な定義づけはよくわからない。ぼく的にはやはり『伝奇』とはロマンなのである。本書の中にも出てくるけどね。