久しぶりの風太郎なのであります。知らない短篇がほとんどだから、読まなくっちゃね。ラインナップは以下のとおり。
「万人坑」
「蓮華盗賊」
「降倭変」
「幻妖桐の葉おとし」
「黒百合抄」
「家康の幕の中」
「叛心十六歳」
「元禄おさめの方」
相変わらず、他の凡百の作家とはまったく違う時代小説という魔界を見せてくれる風太郎なのだが、何が凄いといって、これだけ荒唐無稽な、ある意味バカバカしいといってもいい事柄をことさら真面目にすました顔してさらっと書いているようにみせて、史実はしっかりおさえて歴史を改変することなくすべてすとんと落ち着くところに着地させるところが素晴らしい。
実際、ほんとうは風太郎の描いたとんでもない歴史が史実なのではないかと錯覚しそうになる程だ。そんな不思議な感覚に陥る真骨頂がラストの三遍。大権現から綱吉の時代まで、それぞれの歴史的事件を鮮やかにかっさらって、まったく違う景色をみせてくれる。
本書の解説に風太郎本人の言が載っているのだが、本人はこういう話を書いていていつも困惑するのは読者の予備知識をどこまであてにしていいのか、ということで近松門左衛門が言うように芸は実と虚の皮膜の間にありなのだが、いったい読者の「実」、いわゆる歴史的予備知識はだんだん失われていってるのではないか、とのたまっておられる。
でもね、解説で日下三蔵氏も言っておられるが、ぼくなんか中学三年で風太郎に出会って、そういった歴史の素地なんて皆無だったにも関わらず、たちまち風太郎の沼に首までズッポリはまってしまったくらいだから、そんなこたぁまったく気にしなくていいのである。そういった予備知識は後からついてくるもので、ノー・プロブレム。で、長ずるにしたがって風太郎の物語がどれだけの構築美をもって輝いているのかがわかって、さらに平伏すことになるのである。
本書の最初の二編はそれぞれ中国とインドが舞台の異色作。シッダールタが生きて動いているの初めて見ました(笑)。それ以降は日本の歴史物。「降倭変」は秀吉最大の愚行である朝鮮出兵を描いているから実質日本が舞台じゃないけどもね。
それ以降は、時代物としてのおもしろさに満ちた幻妖でカチっと収まるべきところに収まった作品ばかり。まあ読んで驚けってところだね。ほんと、風太郎は驚きの作家だ。彼と皆川博子は別格なのであります。