読書の愉楽

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隆慶一郎「捨て童子・松平忠輝(下)」

駿河屋 - 捨て童子・松平忠輝 下(日本文学)

 

 徳川幕府が磐石となる前章としての大阪冬の陣、夏の陣が描かれる。いわば、この物語のハイライトだ。歴史的事実としても、遊びのある出来事であり、作者はここで忠輝を自由に泳がせ、ヒーロー像としての鬼っこの面目躍如たる活躍を描いている。そうであったならさぞかし痛快だなと思われる凄惨だが、胸のすく活躍である。この場面を読んで、なんと作者の筆遣い次第で、どんな風にも受け取れるんだなと感心した。ここらへんの呼吸は、実際本書を読んで何が言いたいのか、感じとっていただけたらと思う。

 ぼく自身、時代物についてさほど思い入れもないし、得意なジャンルでもないのだが、本書はそんな人でも充分楽しめるのではないだろうか。これまで、この物語を紹介したときに書いてきたのだが、本書の魅力は松平忠輝その人によるものが大きい。彼の人外の化性としての驚異、現代人にも通じる先進的なものの捉え方や考え方。当時において時代の風潮にもとらわれない究極の自由人としての彼に魅了され惚れ込んでしまう人も多く、ここが史実のもつ不鮮明な部分であり、いわゆる稗史としての遊びの部分なのだが、生まれた時に家康が『捨てよ』と言ったという史書の記述から、『捨て童子、鬼っ子』として突出した人間に描くことで、彼の魅力が最大限に描かれている。

 忠輝は何度も窮地に立たされる。命そのものも狙われたりする。しかし、彼自身の身体能力もさることながら、彼を取りまく彼を愛する人たちによってその窮地を脱するのである。こちらとしては、松平忠輝という人物が九十二歳まで生きたという史実を知っているので、彼が若くして死ぬことはないと分かっているからある意味安心して読んでいるのだが、それでもいったいどうやって?という場面も多く手に汗握ってしまう。まったく上手い。

 本書は連載として一年にわたって執筆されたのだが、隆氏は「執筆を終えて」という言葉の中でその後の忠輝も描きたいと書いておられる。残念ながら、それが実現する前に亡くなられてしまったが、本書で描かれた忠輝のその後の六十年以上は配流の時代であり、とんでもない時間が自由に想像を膨らませ描けることになったのに、まことに惜しいと思う。それほどに隆慶一郎の描く松平忠輝は魅力的だった。こんなヒーローなかなかいないもんね。