この本、映画にもなりましたね。観た方も多いと思われます。
ぼくがこの本を読んだのは1992年でした。あの北上次郎氏が本書のことを熱く語っておられたので
、興味をもったわけです。
一読、あまりの凄まじさに驚きをかくせませんでした。
こんなことがあるなんて、信じられなかった。当時は、児童虐待なんて今ほど頻繁にあるもんじゃあり
ませんでした。ネグレクトという言葉さえ知らなかった。
子どもが、親の折檻によって自殺を決意し、またそれを『楽になれる』と喜ぶなんてこと考えられます
か?
本書の場面にこういうのがあります。死ぬ決意をした娘が、勇気をふるって母にこうたずねるんです。
「なんで、わたしのこと施設からひきとったのですか」
「しょうがないだろッ。孤児院なんかにいれられちゃってョ、みっともなくてしょうがないだろッ、世
間体がわるくて」
「わたしがかわいくて、ひきとったんでしょう」
「そんなことないッ。かわいいなんて、思ったことないッ。一度もない。わたし、きらいだもの、おま
え」
ああ、実の親にこんなこと言われたら、いったい自分だったらどうなっていただろう?
ぼくは、この場面で何度もそう自分に問いかけました。
親に見離されるのではなく、親に存在を否定されるということはいったいどういう気持ちになるんだろ
う?
保護を必要としている子どもにとって、これほど酷なことはないでしょう。
わが子を愛せない親がいるという事実を無条件で突きつけられました。
いまだに、本書を読んだ時の衝撃はうすれていません。
こんな時代だからこそ。