読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

角田光代「八日目の蝉」

イメージ 1

 愛人の生まれたばかりの子どもをさらって、逃亡する女。このシチュエーションだけを抜き出せば、同情すべきは子どもをさらわれた方の親である。だが、本書を読むうちに読み手の心には逃亡する女とさらわれた子が二人で幸せに生きてゆければいいなと願う気持ちがうまれてくる。およそ成功するはずのない逃亡劇は三年もの間、発覚をまぬがれる。ほんの些細な偶然や行き違いが生じたために、この奇妙な親子は追手の目を逃れることができたのだが、しかし、この逃亡劇を描く第一部の胸苦しさは異常だ。ぼくはこの部分を読んでいて何度、目頭が熱くなったことだろう。丁度本書に出てくる女の子の歳がうちの娘の歳と重なってしまったのがいけなかった。

 本当の親でない女性に育てられながら、でもそこにささやかな幸せを見出し、必死についていく幼子。悲劇で始まった物語は、悲劇でしか閉じることができないとわかっているからこそ、別れの情景が常に思い浮かんでしまい、涙を誘う。しかし、作者はその場面をクライマックスには設定していない。このへんはさすがだと思う。

 第一部で逃亡劇が描かれ、第二部では、その誘拐された子が成人してからの場面が描かれる。当然、逃亡の帰結は第一部のラストで描かれるのだが、それはとても簡潔に流されてしまうのだ。

 あの、さらわれて嘘の世界を生きた子は、いったいどうなっているのか。本当の両親の元にかえってきた女の子のその後は幸せだったのか?

 前半の逃亡劇のテンションはグッと抑えられた第二部なのだが、ここでは静かに本当に静かに巡礼の旅が描かれるのである。これだけの悲劇を描きながら、ラストはかなり温かい気持ちで終わることになる。ここらへん、いったいどういう風に完結するんだろうかと思っていたのだが、さすが角田光代、これ以上はないと思われるラストで締めくくってくれるのである。一気呵成に読んでしまったが、とても満足した。

本書は傑作である。