時は1960年代、ところはアイルランド。ここに一人の少年がいる。フランシー・ブレイディー、田舎のどこにでもいる負けん気の強い男の子だ。本書は、その彼が回想の形で語りだすところから始まる。
だから、本書の体裁は彼の口語体だ。そして、これが最初とまどう。フランシーの語りはとめどなく流れる。意識の流れとして繰り出される言葉は、際限なくあふれ読む者を圧倒する。それは区読点を無視して描かれる。彼の意識はダダもれだ。そうして浮上してくる世界を目の当たりにしたわれわれは、その不浄な世界に再びとまどう。
フランシーを取り巻く世界に青空はない。彼の目の前に気持ちの良い風は吹かない。彼の感じる音は不協和音でしかない。彼にふりかかるさまざまな不幸。どんどん追いつめられているにも関わらず、彼の口から紡がれる言葉は、まるでスタンドアップコメディアンのマシンガントークのように陽気で諧謔に満ちている。そこでぼくは三度とまどう。
でも、彼はずっとずっと涙を流しているのである。それは報われることない涙だ。彼は、自分が涙を流していることに気づいてさえいない。こんなに、こんなにつらいことなのに、こんなに、こんなに厳しい現実なのに軽い調子で語るフランシーの目には涙が溢れてとまらない。それは、流れつづけて彼の痛みを癒さない。彼は死ぬまで癒されない。読んでいて、こんなに胸が苦しくなったのは、いつぶりだろう?
彼は大人になる。もちろん、なる。でも、彼の心は小さいままだ。涙も乾くことはない。目の前が明るくなることもない。昨日は、ずっと昨日のままだ。決して明日は、こないのである。