読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ダニエル・デフォー「ペストの記憶」

イメージ 1

 一六六五年の暮れのことである。ロンドンで二人の男がペストで亡くなった。その後、一年にわたって十万人の命を奪った大ペスト禍のはじまりである。本書は、その一部始終をあの『ロビンソン・クルーソー』の作者であるダニエル・デフォーが記録したものなのだが、ちょっと体裁が変わっている。どういうことかというと、本書の語り手はH・Fというイニシャルだけで表記される架空の人物なのだ。デフォー自身はこの災厄の年、まだ五歳の子どもだった。尚且つ彼の一家は地方に避難していたので、デフォー自身はこの災厄の詳細を自分の目で見たわけではないのだ。

 だからドキュメンタリーの体裁をとっていながらも、本書には普遍的な物語文学としての側面がある。当時の様子を詳細に語り、資料としての価値もありながらその他多くの研究書とは一線を画して長きにわたって読み継がれている所以だろう。デフォー自身は再び大流行の兆しをみせたペスト(一七ニ○年フランス、プロヴァンス地方にて。ちなみにこの時はロンドンは大丈夫だったそうな)に対して警鐘の意味もこめて本書を執筆したそうである。だから本書を読んでいると、ペストの悲惨な現状もさることながら、その当時の出来事を冷静に分析し、顧みることで今後の役に立つように配慮して書かれているのがよくわかる。

 本書を読んで思うのは、その悲惨な現状だ。当時の知識では充分に対応することができず、誤った対応ゆえに死ななくてもよかった人たちがバタバタと疫病に斃れてゆくのが痛々しい。健康な者も、いつ自分の身に起こるのだろうかという恐怖と常に隣り合わせなのである。愛する肉親を亡くして悲しむ間もなく自らが病魔に犯されてゆく。疫病の恐怖は錯乱を呼び、狂気にかられた人が病気をうつしてまわったり、災厄に便乗して犯罪にはしる者がでてきたり、あまりに多い死者の数に埋葬が追いつかず大きな穴を掘ってそこに投げ込むしかなかったり、ロンドンの街は、たちまちパンデミックの凄惨な地獄に陥ることになる。

 ぼくは、本書を読んでいる間中、ずっと「ウォーキング・デッド」を思い浮かべていた。当時のロンドンの状況は、まさにあの世紀末の様相を呈していて、まだ健康な者がロンドンを離れ、少人数だったのが、少しづつ数を増やしてゆき、自分たちで考えて小さなコミューンのようなものを形成していくところなど、あのリックがリーダーとなって安住の地を求めて彷徨う姿と大いにダブる。

 本書のラストは、記録者であるH・Fの詩によって締め括られている。

             時は千六百六十五年

             恐怖のペスト、ロンドンを襲う

             消された命はざっと十万

             それでもぼくは生きている!

 災禍の最中にあっては、人は神に縋るしか為す術はなかった。命が助かった者たちはその事実を心から神に感謝した。しかし、禍が過ぎ去ったあとは、その感謝の気持ちも薄れていった。人は、そういう生き物なのだ。平穏な日常がいかに素晴らしいことなのかを噛みしめねばならない。