「本が好き!」の献本第9弾。
初めて読む重松清である。本書で描かれるのは孤独な中学生たち。8篇の連作となっているのだが、それ
ぞれに問題を抱えた中学生が登場する。そんな彼らに『たいせつな言葉』を届けて希望を与える臨時教員
の村内先生。彼は、吃音症で言葉がつっかえてうまくしゃべれない。だから生徒たちは彼のことを馬鹿に
する。授業がよく理解できない。何を言っているのかわからない。先生が一生懸命しゃべればしゃべるほ
どみんながそれを笑い者にする。
だが、問題を抱えた子がそこにいるとき彼の伝えたい言葉は吃音という障害を乗り越えて、その子の胸の
奥にまで届いていく。吃音だからこそ本当にたいせつなことしか言わない村内先生。彼はただ側にいて、
やさしく寄り添って、その子の孤独を全身で受けとめてくれるのである。
心の傷から場面緘黙症になった女生徒、担任を刺してしまった男子生徒、いじめで友達を追いつめてしま
った男子生徒、児童虐待、学級崩壊。学校という閉鎖的な空間で、思春期という不安定な時期を過ごす彼
らが抱える問題は簡単に解決できるような問題ではない。いくら先生といっても、本当なら直面したくな
い類いの問題なのだ。だが村内先生はそれを全身で受けとめ、やさしく寄り添ってくれるのである。
ほんとうのこというと、ぼくはそれほどこの作品集が好きなわけではない。様々な問題児が描かれるが、
パターン化された物語展開が少々うざったい。ここに描かれるのは、たぶん限りなく本当に近いものなの
だろうとは思うのだが、だからこそこんなに簡単に晴れやかに解決できるわけないと納得できないものが
残った。しかし、一作だけ思わず涙を流してしまった作品がある。「おまもり」という作品だ。
卵」のほうが高い評価を得ているようだが、ぼくは「おまもり」に涙した。どういう話なのかは実際に読
んでみてもらいたい。真摯な心が報われるという感動が大波のように押しよせてくる作品だった。
この本を真っ当に評価できているかはよくわからないが、以上が本書を読んだぼくなりの感想である。
これを読んで本書を読むかどうかは、あなたが決めて下さい。