読書の愉楽

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ディーン・クーンツ「オッド・トーマスの霊感」

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 本書の主人公オッド・トーマスには特殊な能力が備わっている。彼には霊がみえるのだ。霊はけっして話すことなく静かに自分の役割を全うする。霊はこちらに危害をくわえることはない。彼らは、現世ではなんの影響力もないのだ。オッドは、そんな彼らにやさしく接する。彼らが発するメッセージを読みとり隠された真実を暴いてゆく。そう、オッドは自らの不思議な力を受け入れて、それを少しでも役立てようと日々奮闘しているのだ。彼はグリルの雇われコックで、ストーミーという美しい彼女がいる。

 

 霊がみえることによって、オッドの日常はわれわれのようなルーティーンにとらわれた毎日とは大きくかけはなれる。普通の人が知ることのないさまざまな現象を体験するのだから当たり前だ。
 そして、ここが特筆すべきところなのだがオッドは霊以外にも『ボダッハ』と呼ぶ悪霊がみえるのだ。
『ボダッハ』は半分人間で半分犬のような流動的な影のような存在で、死を好み暴力に吸いよせられる。彼らは極端な暴力や誇張された絶対的な恐怖に魅了され、それがいつどこで起こるのかがわかっていて事が起こる前から集まってくる。たとえば、オッドが九歳のときドラッグでいかれたゲイリー・トリヴァ―という名前のティーンエイジャーが、自分の家族(弟、妹、母、父)に鎮静剤を混入した自家製チキンスープを飲ませ、意識のなくなった彼らを縛りあげ、目覚めるのを待ち、週末じゅうかけて拷問したあげく電気ドリルで殺害するという事件を起こした。オッドはその猟奇事件が起こる一週間前に二回トリヴァ―とすれ違っているのだが、一回目は三匹のボダッハ、二回目は十四匹のボダッハがトリヴァ―のすぐ後ろを熱心に追いかけていた。『ボダッハ』は死神のような存在だが、彼らは自らの欲望のままに惨劇に群がりなんらかの方法でそこから栄養を吸収しているのだ。

 

 この『ボダッハ』の存在の不気味さが秀逸だ。何かが起こる予兆となっているのに、それがいったい何なのかがわからないことがサスペンスとなって読者の気持ちを煽ってゆく。

 

 しかし、少し難をいわせてもらえば、この五百ページ以上ある本書で描かれているのがただ一つの事件だということ。これだけの紙幅があればもうすこし重層的な構成になっているのかなと期待していたのだが、これでは少し冗長な印象を免れ得ない。あと気になったのが、登場人物たちのセリフ回し。なんか、無理に気の利いた言い回しをしようとして空回りしているのが気になってしかたがない。

 

 このように不満も多々あるが、それでも本シリーズはこれからも読んでいきたいと思っている。次巻以降の『ボダッハ』の扱いが気になるし、本書の中で未解決のタイムスリップがあったし、本書のラストのあの衝撃はなかなかのものだったからね。

 

 そういえば、本書は映画化されているそうだ。機会があればまた観てみようか。