イスラエルのマサダ砦は、紀元六六年にパレスチナのユダヤ人がローマ軍の進攻から立て籠り四年にわたって抵抗した砦で、かつてヘロデ王が自身の離宮として整備して改修した場所だった。ユダヤ戦記でも有名なこの籠城戦は結果、数多くのユダヤ人の死者を出した。
一九六五年、その砦でボランティアの発掘作業に携わっていた日本人青年が、仲間のフランス人青年を殺して、自殺する。物語は、その遺体を引き取りに姉の明子がイスラエルにやってくるところから始まる。
皆川長編は、本来の持ち味である鋭利な短編のキレのようなものは感じられない。ぼく個人の感想をいえば、長編は題材の奇抜さと新しい世界を見せてくれるという驚きでこちらの心を掴んでしまい、それにストーリーのおもしろさが加わるという感じ。日常からかけはなれた世界は、決して片手間で描かれるものではなく強固に構築され、惚れ惚れしてしまう。今回も、イスラエル、エルサレム、マサダ砦、ユダヤ人、ディスポアラという日本人にはまったく馴染みのない世界が描かれており、門外漢というかアウェー感というか、ぽつんと取り残されたような気持ちで読み始めたが、すぐに物語に没入。現在と過去が行き来し、ユダヤ迫害の歴史と驚くべきことに日本の歴史もシンクロして、同じ地獄が描かれる。
いったいどうして、日本から来た青年はフランス人の仲間を殺して自殺したのか?姉である明子と死んだ弟隼雄との関係、隼雄の過去、くびられる猫、深夜の首吊り、残されたノート。霞みがかった事実がやがて浮上し、事の真相が明らかになる。そう、完全に本書はミステリなのだ。そこには、大きな歴史の闇が横たわっている。そして、その闇はユダヤと日本を反復する。過去に起こった凄惨な出来事が人の心に残す深い傷。それは決して塞がることのない生々しい傷であり、その傷がもたらす怒り、鬱屈、悲しみは方向を定めることなく放出される。そして悲劇は繰りかえされる。
本書は一九七六年に単行本が刊行されたのち、一九九八年に文春文庫で刊行されるまで長らく絶版だったそうである。それが、いままた絶版となっている。是非とも復刊してほしい。もっと手軽に皆川博子氏の作品が手に取れるようになるべきなのだ。