読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

「夕陽が沈む」によせて

 ※今回は先日読了した皆川博子「影を買う店」に収録されていた「夕陽が沈む」の出だしを使って、その後をつないでいきたいと思います。


 新聞を読もうと広げたら、またも活字が滑り落ちて紙面が白くなった。活字たちは列をなして床を進み、出窓に置いた水槽をめざして這い上りつつあった。

 

 昨日から続いていた雨は、町のはずれにある商店を軒並み溶かしてしまい、通りにはおおきなウツボが這いまわっていた。いつもなら一晩たつと元の場所にもどってくる字たちは、今回にかぎって水槽に浸かったままよく光る目で静かにジッとこちらをみつめている。

 

 居心地が悪い。

 

 いつもは見つめている方なのにいまは見つめられている。これはなんとも奇妙な齟齬であり、理不尽きわまりない現象だ。不思議なことに字に見つめられていると、背中からいやな臭いのするネトネトした汗がしみでてくる。これがやっかいな代物で、量がけっこうなものだから何度も着替えなければいけない。

 

いっそのこと水槽の水ごとトイレに流してやろうかとも思ったが、そんなことをすれば、世の中から水に流された分の文字が消えてしまうことになる。

 

 つまり、いまの状況を打開する方法はまったくないということだ。そこでさらにふみこんでぼくは考えるのである。こんな場合、夏目漱石ならどうしただろうか?キング牧師なら?ミック・ジャガーなら?吉田兼好ならどうだ?ラムセスⅡ世なら?C-3POなら?

 

 つまらん。何をやってるんだ、ぼくは。

 

 気分をかえるために、クラウデッド・ハウスの「Dont dream its over 」でも聴こう。Hey now, heynow They come, they come 彼らはどこからやってくるんだ?彼らって誰だ?彼らを勝たせちゃいけないって?この曲はいつ聴いても不思議な気持ちになる。デルフォニックスの「La la means i love you」はどうだ?La la la la la la la la la means I love you これはストレートでよろしい。なんのくもりもない。健全で明るくてせつない。

 

 さて、ぼくはこうしていまの状況から目を背けてきた。字は依然として水槽の中でたゆたいながら、こちらをジッと見つめている。彼らは戻ってくる気がないらしい。彼ら?彼らって?彼らってあの字のことなのか?これは彼らが勝ったってことなのか?クラウデッド・ハウスは、このことを歌ってたのか?

 

 They come, they come 彼らがくる。彼らがくる。彼らは光る目で静かにジッとこちらをうかがっている。まるで、獲物を狩る肉食獣のように。ぼくは指が痒くてしかたがない。掻いたところから血が流れだしてぼくの身体を伝い落ちてゆく。通りではウツボが這いまわっている。字は少しづつ移動している。こちらへ、こちらへ。彼らがくる。彼らがくる。