世界はどんよりした灰色の風船の中だった。朝の通勤時間はいつもならもっと気がせいているのに、今日はこの曖昧な天気のせいかすごくゆったりした気持ちだ。ぼくは高架下の幹線道路を南に向けて車をはしらせており、次々と通りすぎてゆく高架橋の真っ白なコンクリート柱が妙な催眠効果を発揮し、ぼくの目を重たくさせていた。
一瞬意識がとび、気がついたときには左側のガードレールに車体をこすりつける寸前だった。首筋に千本の針を刺したような電気がはしり、一気に神経が覚醒する。やがて赤信号に連なる車の後ろに速度を落として近づき、じっと信号の赤い色を見つめた。
遠くの空は赤く、それが拡散するにしたがって紫にぼけるのが美しくゆるやかな山の稜線のシルエットとのコントラストがあまりにもはっきりしているため長く見つめていると目が痛くなるのだが、唄うように飛んでゆく大きな水鳥の流れるような自然なフォームも重なっていつまでたっても目をはなすことができずにいると足元で小さなカエルがぴょんと跳ねたのも一興、ぼくはこのありふれた光景に心から感動していて、右手にもったとうもろこしを食べるのも忘れ見とれていた。
子どもの頃の記憶。赤がつながってフィードバックが起こった。信号が青に変わり、ぼくはゆっくりアクセルペダルを踏み込んだ。
そしてぼくは空港にいて、受付のカウンターの上では肋骨の浮き上がった痩せた犬が(顔が長い。アフガンか?でも毛がまったくない。見たこともない犬だキリンのように脚が長い。ダリの絵に出てきた生き物のようだ聖アントニウス?)口から毛むくじゃらの生き物を吐き出していた。いや、呑み込んでいるのか?涙を流しながら、とても苦しそうに(あれはネコだ。ネコを呑み込んでいるんだ)腹を波打たせて少しづつその生き物を咥えていた。
どこからともなくドクター・アシルスの欺瞞を証明するための集会が催されるので、午後三時までにホールの東角の受付で署名を済ませて下さいとのアナウンスが響いてくる。
ぼくは右手にとうもろこしを持ったまま涙を流す犬の目を見つめて動くことができずにいた。
赤い夕日はほとんど見えなくなって空は紫色にかわり、少し黄色がかったよく光る星が一つまたたいていた。