読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

川のほとりで

 記憶にある風景と違うなと思いながら歩いていると、道を横断している大きな川につきあたった。

 

 冷たい風が川上から吹いて、ぼくは思わず首をすくめた。左に目を向けると一人の男に群がる数人の女が目に入った。見てすぐに背筋が寒くなったのだが、女たちも男もほとんど裸であるばかりか、女にいたってはおよそ人間離れした奇声をあげて狂乱状態なのだ。まるで泥酔しているかのようなトランス状態で血走った目をして男の周りを取りまいている。その様子には鬼気迫るものがあり、いまからとんでもないことが起こるにちがいないと思わせる何かがあった。と、女たちはそれぞれ手に石をもって、それを男に投げつけた。にぶい音をたてて肉を打つ石の音がこちらまで聞こえてくる。ひときわ大きな音がしたのは頭に当たった音だ。男はぐったりして動かなくなってしまった。男が持っていた竪琴も弦がはじけとんで壊れてしまっている。男が動かなくなった途端、女たちは一斉に男に駆けよった。それぞれが激しく身体を動かして何かしているみたいだが、ぼくの位置からはよく見えない。そうこうしているうちに女の一人が中腰になって片足を突っぱって何かを引っぱりだした。やがてそれは世にも不快な音をたててとれた。
 女はそれを高く持ち上げた。彼女が持っているのは腕だった。驚く間もなく、もう一人の女が激しく血をふく首を頭上高く持ち上げる。凄い量で落ちる血は、たちまち女の頭から全身を伝い大地に吸いこまれていった。もう一人の女が長いホースのようなものをくるくる回りながら引きだしている。あれは腸だ。

 

 もぎとった頭をかかげていた女が、それを大きく振りかぶって放りなげた。頭は予想どおりぼくの目の前にどさりと転がった。首のまわりはズタズタに裂けて血まみれだが、その顔は美しかった。
 
 茫然としたまま、今度は右に目を向けた。そこでは、幹の太いゴツゴツした木に両手を縛られた男が吊るされており、もう一人の火の衣をまとった若い男がその男の足元にかがみこんで何か作業をしていた。
 吊るされている男は大きな口を開けて必死に叫んでいる。やがて火の衣の男が中腰になって片手を持ち上げた。その手には何か赤いものが引っぱられており、それは吊るされた男の足元につながっていた。

 

 皮だった。火の衣の男は、木に縛りつけた男のふくらはぎあたりから皮を剥いで引っぱっているのだった。

 

 
 あまりにも残酷な場面に息をするのも忘れて固まっていた。どちらも殺戮ではないか。なんて酷いことをしているんだ?神話は血みどろだ。記憶と違う風景は、神話に浸食されていたのだ。

 

 ぼくは意思の力で呪縛をといてふたたび歩きだした。足はいうことをきかないが、それでもがんばってその場から離れようとした。彼方に人影がみえた。こちらに向かってきているようだ。四人いる。一列に並んでゆっくり歩いてくる。やがてぼくの目の前まできた彼らはそれぞれラファエル、ウリエル、ミカエル、ガブリエルと名乗った。美しい目をした人たちだが、みな同じ顔だった。彼らの肩越しには羽のようなものが見えていた。ぼくは、いま見てきた殺戮を彼らに伝えなくてはと焦るのだが、うまく言葉が出てこない。後ろを指さして大きく口を開けるのだが、まったく声を出すことができない。四人の人は、ぼくをじっと見つめて動かない。ぼくは少しでも状況を伝えようと後ろを振りむいてあの血みどろの場所を指さそうとするが、もうそんな場所はなくなっている。実のところ川もなくなっていた。