一万円札をひらひらと手にもって歩いているぼくは、どこへ向かうあてもなくブラブラと気のむくままさまよっている。この金をいったいどうしょうというのか。やがて道は商店街にさしかかり、喧騒がぼくをとりまいてゆく。昨日食べたせんべいは固かったなと、とりとめのないことを考えながら歩いていると青く透きとおった水が満杯の大きな水槽をディスプレイした店の前を通りかかった。何気なく見る。
こころは気紛れ。そんなことを思いながらじっと見つめていると、いつしかぼくはコバルトの海の中を泳いでいた。キーンという音。水中眼鏡のむこうは透きとおった青い海。陽光が差しこんで、波に周波のように光がきらめく。ぼくの肺はいまにも破裂しそうなほど。こころは気紛れ。ポンと浮かんで消えてゆく、その言葉が何に起因しているのかはわからない。ぼくは、泳いでいるのか溺れているのか。くるくると天地がひっくり返って、どうにかこうにか浮かびあがったところは駅のホーム。大きく息を吸って肺を空気で満たすと、頭が総毛立つような燃えあがるような感覚がしてトイレに行きたくなる。ぼくはクラクラしながら立ちあがり、おぼつかない足取りでホームを横切りトイレを探す。たしか階段を上がったところにあったはずだ。いつもは何気なく使っている階段がことのほか困難で、今の状態のぼくの力では上までたどりつけないのではないかと思ってしまう。しかし、なんとかのぼりきって正面にトイレを見つけ、いそいで中に入ると洗面の鏡に「こころは気紛れ」の落書き。夢の中の出来事なのに、それがわかっていないぼくはその高い確率のシンクロ具合に神々しいまでの感動をおぼえる。そうか、このことだったのか。
よくはわからないが、神に近い誰かがぼくにメッセージを送っていたんだ。と、夢の中のめでたいぼくは勝手に自分を選ばれた存在のように感じて武者震いしてしまう。
さっさと用を済ませたぼくは、すっきりした気分でトイレを出る。友だちの孝司も一緒にでてくる。
「見た?」とぼく。
「何を」
「何をって、トイレの鏡やん」
「何、それ」
「いや、鏡に書いてあったやろ?落書き」
「うん?知らんで」
「え、うそ!書いてあったやん」
「いやいや、そんなんなかったで」
「いやいやいやいや、何言うてんのん、はっきり書いてあったやん」
「なんて?」
「・・・・・・・」
と、ここでぼくは詰まってしまう。さっきまで繰りかえされてきたあの言葉が微塵も出てこない。なんだったか。神々しい言葉。ぼくへの啓示。え?うそ、そんなんあり?なんで出てこうへんのん?
美歩はそんなこと気にせずぼくの前を歩いてゆく。ぼくはなぜか右手に一万円札を握って歩いている。
美歩はどんどん先を行く。何を怒ってるんだろう?ほんと女ってきまぐれだな。―――!!!
何?この感じ。いまなんか凄い発見したよね?長年の悩みが一気に解決しそうなこのぞわぞわ感。でもそれが何に起因しているのかが、わからない。
思いだせそうで思いだせないこの焦燥感。明滅浮沈出入、なんでもいいけどはやくすっきりしたい。
美歩、美歩、そんなにはやく歩いてどうしようっての?ほんと生意気な女だな。―――!!!
あ、まただ。何かがつながりそうな気配。気配といえば「秋の気配」。オフコース。そう、ぼくはこの歌が大好きだ。でも、もっと好きなのが「こころは気紛れ」―――――――――!!!!!!!!