喉の奥で引っかかる感じがした。風邪を引く前のいつもの感覚だ。これが段々存在感を増してきてイガラっぽくなって後頭部がジンジンしてくると、もういけない。やがて眼圧が高まってきて鼻の奥に細い線のような痛みを感じて額が熱くなる。
ああ、この大事なときになぜ風邪を引いてしまうんだ。寝冷えもしてないし、薄着で寒さを感じたわけでもないし、誰かが風邪を引いてたわけでもない。単独犯だ。ぼくが勝手に発症したってわけだ。
明日は大事な会議だし、ここは大事をとってはやく寝るとするか。と思って寝たのが9時半過ぎ。
ぼくは大空から急降下している夢をみて飛び起きた。時計を見ると夜中の1時20分。汗はかいていなかった。しかし喉の痛みはひどくなっていて、息を吸うたびにひーひーと喉の奥で笛がなる。いつもの風邪の時よりひどいような気がする。おもわず喉元に手をやったぼくは、そこにありえないものを触って気絶しそうになった。気を取り直してもう一度手をやる。確かにある。しかし、これはいったい?
灯りをつけて鏡の前に立てば、いったい何があるのか一目瞭然なのはわかっているのだが、どうしてもその勇気が出ない。なぜなら、ぼくが触っているものはそこにあるべきものではないからだ。いままでに経験したことがないような恐怖がぼくの身体を硬直させていた。まっさきに考えたのは自殺だ。こんなものが喉から生えていたらいまの医学で治療できるとは思えないし、こんな状態になって生きていく勇気がない。
しかし、それでも確認しないわけにはいかない。ぼくはふらつく足取りで洗面所に向かった。明かりをつけてそれを目の当たりにした途端、吐いた。こみ上げるものを止めることができなかった。
ぼくの喉元、正確には鎖骨の真ん中あたりには肉厚のトゲが密生していた。トゲ?そうどう見てもトゲだ。色は灰色がかった薄いグリーン、指で触ると芯はやわらかいが外殻はそこそこ固い。いったい何なんだこれは?
もう一度じっくり触ってみる。うん、これは植物の感触だ。どうしてこんなものが喉元から生えてるんだ?トゲの根元を見てみると、しっかりと皮膚の中に食いこんでいる。ためしに一本つまんで引っぱってみると胸の奥のほうが引っかかって少し痛みがある。
絶望。とにかく絶望。涙もでない。引っこ抜くこともできないし、医者にみてもらうのも怖い。いったいどうすればいいのか。こんな恐怖の感情はいままで抱いたことはなかった。まったく未知の恐怖だ。こんな身体になってしまったことへの恐怖といったいこれからどうなるのかという不安の恐怖。ふたつの恐怖がぼくをがんじがらめにする。
「ミヤオゥ」ドータが足元にまとわりついてきた。ぼくは目線だけをドータに向けた。彼女は彼女なりに主人であるぼくの身に起こった異変を感知して様子をみにきたらしい。せつないまなざしでぼくを見上げてくる。
「おまえも悲しんでくれてるの?」ドータは何度もぼくの足元に身体をこすりつけて行ったりきたりしている。主人を気づかう姿に少しこころが癒される。
「ドータ、寝ようか」恐怖と悲しみは残っているが、どうでもよくなってきていた。もう寝よう。朝、起きたらまた状況が変わっているかもしれない。もう一度トゲに手を触れて、ぼくはベッドに入った。
翌朝、目が覚めた瞬間あれは悪夢だったんだと信じようとした。そしておそるおそる喉元に手をやって飛び起きた。
なかった。あの密生していた忌まわしいトゲがきれいになくなっていた。かすかに皮膚がこわばってカサついた感触があるだけでそこには何も存在していなかった。喜びと同時に不思議な気持ちになった。悪夢だと信じたから本当になくなったのか?それとも本当に悪夢だったのか?そのときドータが少し空いた戸口から部屋に入ってきた。そしてベッドに飛びのるとぼくに身体をこすりつけてきた。ノドをゴロゴロ鳴らしている。
「ドータ、あれはなんだったんだろ?トゲが消えてるんだ」
「ニャオゥ、グルルルル」ごきげんだ。ぼくの気分も少しづつ上がってきた。
「ドータ、不思議だよな。まさかおまえが食べたんじゃないだろうな」猫相手につい冗談を言ってしまう。するとどうだろう。ドータの動きがピタッと止まった。ノドのゴロゴロまで聞こえなくなった。そそくさと部屋から出ていこうとする。
「え?おまえなの?本当におまえが食っちゃったの?」
ドータはこちらを振り向くと「ニャン!」と得意そうに鳴いて部屋を出ていった。