読書の愉楽

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ヘンリー・ジェイムズ「アスパンの恋人」

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 ヘンリー・ジェイムズといえば、少し前までヘンリー・ミラージェイムズ・ジョイスと混同して誰が「デイジー・ミラー」の作者で誰が「北回帰線」の作者で誰が「ユリシーズ」の作者なのかしっちゃかめっちゃかに記憶していたくらいなのだが、最近になってようやくその区別ができるようになってきた。「ユリシーズ」を読んだことで、この三人の中で一冊もその著作を読んでいないのはヘンリー・ミラーだけになったから整理がついたのだろう。といっても、ヘンリー・ジェイムズの作品も本書と「ねじの回転」の二冊しか読んでいないのだけどね。

 

 「ねじの回転」を読んだのはもうずいぶん前のことで、その当時はゴースト・ストーリーの一冊として手にとってみたのはいいけれど、かなりまわりくどい印象を受けただけだった。今にして思えば、それがかの有名な『朦朧法』との初めての出会いだったわけだが、その印象が強かったのでヘンリー・ジェイムズは小難しいおっさんだとインプットされたまま現在に至ったわけなのである。

 

 そんなある日、古本屋で本書を手に取る機会を得た。紹介文を読んでみれば、難解で知られるヘンリー・ジェイムズのストーリー・テラーとしての才能が遺憾なく発揮された中篇の傑作とあるではないか。ぼくはこのストーリー・テラーという言葉に弱いのである。この言葉を見るだけでもう無条件に受け入れ体制が整ってしまうのである。だから、しのごの言わずすぐさまレジに走っていったというわけなのだ。
 本書のストーリーはとてもシンプルだ。ある男がかつての大詩人の恋文を手に入れようとあれこれ画策するというもの。しかし、これが驚きの設定の上に成り立っているからおもしろい。かつての大詩人アスパンの恋人であり恋文を受けとっていたというミス・ボルドローという女性、本書の中では150歳という設定なのだ。これはギャグか?ひゃくごじゅっさい?おいおい妖怪じゃないんだから、いくらなんでも長生きしすぎでしょう。

 

 しかし、そのことにはことさら触れることもなく物語は完全スルーですすめられてゆく。果たして150歳の老婆が常人のように人と接しまともな会話を営めるのかどうかまことに疑わしいのだが、そんなことにはおかまいなく物語は平穏に進行してゆく。

 

 登場人物は主に3名。150歳のミス・ボルドロー、その姪である世間知らずなミス・ティータそしてアスパン研究の第一人者である「わたし」。物語はこの「わたし」の語りですすめられてゆく。ヴェニスの広大な古い屋敷に住む困窮した二人の女性。下宿人として、真意を伏せたまま「わたし」は恋文を手に入れるために屋敷に入り込む。そこでおこなわれる互いの心の探り合い。

 

 さて、今は亡き大詩人アスパンの貴重な恋文は主人公である「わたし」の手に入るのか。

 

 解説でもことさら言及されていたのが本書の物語としての吸引力である。話の面白さという点ではジェイムズの二百編に及ぶ膨大な作品の中で右に出るものがないなんて書かれているが、ぼく的にはさほど興味を惹かれてどんどん読みすすめたという感覚はない。しかしこれがあの難解で有名なヘンリー・ジェイムズの手になる小説かと思うと、あまりのシンプルさに驚いてしまう。中篇というだけあってページ数も200P足らず。

 

 もし、ヘンリー・ジェイムズという名だけで嫌悪をしめす向きがおられたら、騙されたとおもって本書を手にとってみるのもいいかもしれない。かの夏目漱石もジェイムズの小説に手こずったらしいが、本書からひもといていたら、その後の日本におけるジェイムズ紹介はこんにちとは違ったものになっていたに違いないと信じたいと訳者である行方昭夫氏も書いておられる。

 

 さて、どうします?