読書の愉楽

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コルタサル「遊戯の終わり」

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 アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編集である。以前国書刊行会から単行本として刊行されていたが、長らく絶版だったのを岩波文庫から加筆、修正しての刊行なのである。だから、名のみ知る本を読めると思ってけっこう期待が大きかった。

 

 ところがである。本書に収録されている18編のほとんどがあまり心に響かなかったのだ。ここに収録されている短編のほとんどが幻想小説とよばれるもので、その中に何作か少年、少女を主人公にした甘くない作品がまぎれこんでいるのだが、これもあまり好みではなかった。まず巻頭の「続いている公園」からしてもう結末が見え見えで、まさかそうなるはずはないだろうとおもっていると、そのとおりになったので面食らってしまった。次の「誰も悪くない」は読みはじめてすぐにサキの「二十日鼠」を連想してしまった。だが、この作品もあの至極わかりやすくてラストで思わず笑ってしまうサキの短編ほどに気の利いた結末を迎えることはなかった。唯一「夜、あおむけにされて」のみこの作家が好む反転の構図が見事に決まっていて記憶に残ったくらいである。途中、先日読んだボルヘスの「薔薇色の街角の男」のような無法者の世界を描いた短編が何作かあったが、これもあまりにも簡易なスケッチで素通りしたかのような印象しか残らなかった。
 こういう不穏で奇妙な短編というと、やはりサキやブッツァーティが思い浮かぶのだが、本書にはあれらの作品群がもたらすマイナスゆえの高揚感がまったくなかった。今月、もう一冊コルタサルの短編集「秘密の武器」が刊行されるので、それを読んでみて最終的に自分の中での位置づけをしたいと思う。