読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

伊藤計劃「The Indifference Engine」

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 伊藤計劃の死後さまざまな本に彼のフィクションが収録されていたが、本書はそれらを一冊にまとめた彼の第一短編集だ。このように文庫本の形で刊行されてまことに喜ばしい。本書に収録されている作品は以下のとおり。



 ・「女王陛下の所有物 On Her Majesty's Secret Property」

 

 ・「The Indifference Engine」

 

 ・「Heavenscape」

 

 ・「フォックスの葬送」

 

 ・「セカイ、蛮族、ぼく。」

 

 ・「A.T.D:Automatic Death■EPISODE:0」

 

 ・「From the Nothing,With Love.」

 

 ・「解 説 伊藤計劃円城塔

 

 ・「屍者の帝国



 二編の漫画を除いた(そのうちの一編は伊藤氏本人が描いてます)すべてがオリジナルの短編。気に入った作品について言及すると、表題作はルワンダ虐殺に材をとったなかなかの問題作で、少年兵を主人公にした作品はあまり読んだことがなかったので衝撃的だった。残酷な事実とその世界の中で虚無的に生きていく元少年兵の姿が対比されていて印象深い。憎しみの感情の噴出は恐ろしい。「Heavenscape」はあの「虐殺器官」の元になった短編。非常に短い作品だが、あの完成度の高かった長編の出発点がここだったのかと感慨深いものがあった。何事も誘発材があってそこからあらたな創造がうまれるんだね。「フォックスの葬送」はゲーム「メタルギアソリッド」のスピンオフ作品。これもいってみればインスパイアの産物なのだが、さすが伊藤計劃、オリジナルをよく知らない者が読んでも充分おもしろい。

 

 「From the ~」はかの世界的に有名なスパイを描いているのだが、これは巻頭の「女王陛下の~」を補完する作品としても機能している。非常にスタイリッシュな書き出しが素晴らしい。『例えるなら私は書物だ。いまこうして生起しつつあるテクストだ』だって。シビれるなあ。同じく書き出しの一行でがっちりつかまれてしまうのが「屍者の王国」。伊藤計劃の絶筆だ。こちらの書き出しはこう。『まず、わたしの仕事から説明せねばなるまい。必要なのは、何をおいてもまず、屍体だ』う~ん、唸ってしまう。こちらは十九世紀の英国を舞台にしたいわば歴史改変物で、あの華やかなりしヴィクトリア朝を彩った有名人が総出演するはずだった作品。本書に収録されているのはその冒頭部分だけなのだが、すでにワトソンやヴァン・ヘルシングが登場し、あの世界一有名な名探偵とその兄も出てくるようなのである。

 

 これはぜひとも完成した作品を読んでみたかった。現在、円城塔が続きを書き継いでいるようなのだが、はやく読んでみたいものだ。

 

 以上ささっと紹介したが、やはり伊藤計劃は素晴らしい。スタイリッシュなテクストの中にこめられた彼のビジョンは世界の変容を的確にとらえ、われわれの眼前に提出する。それを受けとめるのは洗練と汚泥にまみれるような困惑をもたらすが、はりめぐらされた彼の予知を避けてとおることは許されない。仮想が現実になるような高純度の世界構築。彼がいまも生きていたら、本当に世界は変わっていたかもしれない。