読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

ブノワ・ペータース作 フランソワ・スクイテン画 「闇の国々」

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 本書はいままで読んできたBD(バンド・デシネ)作品の中で一番大きくて一番分厚かった。しかし、それだけの内容のある本だったのは間違いない。

 

 本書で描かれているのはタイトルそのままの『闇の国々』のお話。それは、いま我々が生きている世界とはまた別の世界の物語なのだ。本書にはその別世界を舞台にした作品が三編収録されている。

 

 収録作は以下のとおり。

 

 「狂騒のユルビカンド」

 

 「塔」

 

 「傾いた少女」

 

 それぞれまったく違った感触の話なのだが、ぼくが一番魅了されたのは第二話の「塔」である。これは大冒険の話で、実在してる『バベルの塔』を舞台にしたお話。主人公は、この塔のどこかにいる修復士ジョヴァンニ・バッティスタ。彼は日々崩れ続ける塔を寝る間も惜しんで修復しているのだが、定期的に訪れるはずの巡察使がこないことにシビれを切らせて持ち場をはなれ基部に向かう大旅行に出かけることにする。この塔がとんでもない塔でどれだけの規模のものなのか誰も把握していないという代物。ここで繰り広げられる冒険が圧倒的なイマジネーションの洪水で読む者を包みこむ。主人公と同じ名のジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージの一連の廃墟や牢獄を描いた版画作品やブリューゲルバベルの塔からインスピレーションを得たというだけあって、ここで描かれる塔の描写は神話的なまでに壮大でその偉容は限りない畏怖を抱かせる。そしてそれは物語に耽溺する者にとってこの上ない歓喜を呼び起こす。ぼくはこの一編を見ていて何度も既視感にとらわれた。後々よく考えてみると、それはアリオストの「狂えるオルランド」を読んでいるときに心の中にイメージしていた数々の場面と符合するのである。決してそれは似て非なるものなのだが、ぼくの中ではどちらの作品からも同じ雰囲気をまとった匂いみたいなものを感じとった。だから、どうなのだ?といわれればそれまでの話なのだが、このイメージの奔流は自己完結ながら得がたい体験だったのだ。まさしく本を読んでいてよかったと思える瞬間だった。

 

 もちろん他の二編も素晴らしい作品で、「狂騒のユルビカンド」は未知の物質であるちっぽけな骨組みだけの立方体が日々成長し続けて世界を侵食していく話。これもまた畏怖を抱かせるに充分な壮大で宇宙的な話になってゆく。「傾いた少女」は文字通り傾いている少女が主人公なのだが、ここでは少し実験的な試みが成されていて、三つの異なる話が次第に融合していく構成がとられているのだが、その中の一つは写真を使ったもので、これが効果的に物語に呑み込まれてゆく。とても刺激的だ。それぞれの話はすべて『闇の国々』での話であって、この三編以外にもまだまだいくつも物語があるらしい。今後もそれらの紹介をしていってもらいたいものである。「闇の国々」の全貌を知ることなどできないだろうが、まだまだこの世界の秘密を知りたい。それほどに魅力的な世界なのだ。