皆川博子の本を読むのはこれが初めてなのだが、いっぺんでファンになってしまった。本書には五編の短篇が収録されているのだが、どれもが素晴らしかった。
巻頭の「水葬楽」はSF仕立ての作品。多くのキーワードが散りばめられ、それが効果的に配されたボードレールやランボーらの近代フランスの詩句と相乗して隠喩に満ちた透明な物語となっている。兄と妹の秘密は最初からわかっている。それが暗い陰となって物語全体を覆っているが、これがまた退廃的でいいんだなぁ。
次の表題作である「猫舌男爵」は、言明されてはいないのだが、おそらくポーランド人と推察されるある学生が翻訳した日本の小説のあとがきから幕を開ける。このヤン・ジェロムスキという学生は、古本屋でヤマダ・フタロの『THE NOTEBOOK OF KOGA'S NIMPO』という本を見つけて読み、大いに感銘を受け日本贔屓になったというのだが、そんな彼がある日友人から譲りうけた針ヶ尾奈美子の「猫舌男爵」を翻訳して自費出版したという経緯があとがきに記されている。しかし、このジェロム
スキの筆勢はあまりにも自由奔放で、ヤマダ・フタロのニンポの話から、第二次世界大戦の特攻隊に飛び「猫舌男爵」の解釈から拷問史に話が飛び、猫舌の話から日本語の難解さに話が意向していくという連想の数珠繋ぎとなっている。ここで大いに楽しませてもらったのも束の間、以降に続く書簡やメールの数々にてこのヤン・ジェロムスキなる学生の奇妙な人物像が浮き彫りにされていくのである。ここで実在の人物である日下三蔵や千街昌之らを登場させたところがなかなかおもしろい。また針ヶ尾奈美子という作家なんていたかな?と考えてみると、これは皆川博子のアナグラムとなっているのだ。
「オムレツ少年の儀式」は、タイトルから連想するになんとなく楽しい作品かなと思ったのだが、とんでもなかった。プラハを舞台にした短い作品だが、ラスト三行の衝撃はなかなかのものだ。
「睡蓮」は、書状や日記や新聞記事などを羅列して構成された作品で、時系列を逆にたどっていくことによって物語をよりドラマティックに語ることに成功している。ここで描かれるのはエーディト・ディートリヒという一人の女性の生涯だ。天才女流画家として華々しくデビューした彼女がなぜ精神病院にて死去することになったのか?1880年から1969年のドイツを舞台に描かれるこの作品はなかなかミステリアスで読み応えがあった。
「太陽馬」は、スターリングラード攻防戦で、ドイツ軍に協力するコサック人青年が主人公。ポリシェビキに包囲され投降するか死を選ぶか余儀なくされた彼らの行き着く結末は?この作品も構成が揮っていて読み始めはこの上なく幻想的な物語に少し戸惑う。それが現実と溶け合いながら、ドイツ軍の進退やコサック人へのポリシェビキの迫害の歴史などと同時に描かれていく。非常に悲惨な物語。しかし、ラストはある意味カタストロフィに彩られた心に残る幕切れで、悲壮美にあふれている。
というわけで、五編とも心から堪能した。何度もいうが、本当に素晴らしい短篇集だ。読んでよかった。