これは読んでブッ飛んだ。なんなんじゃ、これは!ってな感じである。基本的に本書は三つのパートに分かれている。ひとつはあまりにも残虐な犯行を重ねる殺人鬼のパート。もうひとつは竹本氏やその周辺の作家連中が実名で出てくるパート、そして最後が短編ミステリとして楽しめるトリック芸者のパート。それぞれを書いているのは勿論竹本氏なのだが、唯一つ『殺人鬼』のパートだけは竹本氏が書いた憶えがないとのたまうのである。ま、それは叙述ミステリの常套として普通に受け入れられるレベルの混乱なのだが、これがさらに錯綜してくるから本書はおもしろい。なぜなら竹本氏の創作である『トリック芸者』の主人公酉つ九も小説を書いていて、実はそれのタイトルが「ウロボロスの偽書」なのである。まさにウロボロス。延々と続く円環。信用できない語り手によるパラドックスは重層を極め、簡単に要約することができないくらいだ。本書の読みどころはまさにそこにある。何がどうして、いったいどうなっているのか?『クレタ人はいつも嘘をつく』とクレタ人が言ったという冒頭で語られる有名なパラドックスが象徴するように、本書はいったい何が本当なのかという混迷を愉しむミステリなのである。それぞれのパートがお互いを侵蝕しあい、そしてそれぞれの登場人物たちが疑惑をもち、尚且つそれが微妙な食い違いを生みさらに混迷を極めていく。
だが、この壮大で異常で混迷の極みをみせるミステリの帰結はあまりにも安易なのである。本書の瑕疵は唯一その一点のみなのだ。だから、解決をみても大いなるカタルシスは得られない。そういった意味ではミステリとしては本書は片手落ちなのだ。
だが、だがである。にもかかわらず本書をぼくは愛してやまないのである。こんなにおもしろく楽しく本を読むことは稀だなと思ったくらい愉しんで読んじゃったのである。もう二十年近く前のことだが、いまでもいろんな場面を憶えてるくらいだから、相当おもしろかったのだ。
このウロボロスシリーズは本書以降二冊刊行されている。「ウロボロスの基礎論」と「ウロボロスの純正音律」だ。ぼくは二作目の基礎論までしか読んでない。なぜなら基礎論は見事にコケちゃってたからだ。
もうこれでいいかと思ってしまったのだ。でも純正音律もなかなかおもしろそうではある。だからこれはそのうち読むかもしれません。でも、読まないかも?いやいや読むでしょ?いえいえそう簡単には読まないでしょ。なんのなんの、読んじゃうクセに。う~ん、どうだろ?読むかな?うんうん読むはずだ。いやあ、やっぱりどうかな。うん、そうだな。でしょ?いやあでも、やっぱり。そうかな?そうでしょ?うんうん、そうなんだ。読む?読まない?それは誰にもわからない。