五つの短編が収録されている。それぞれ、緊張感に包まれることこの上ない、なかなかの逸品揃い。まず一番目の「鬼ごっこ」では、朽ち果てた洋館にもぐりこんだ子どもたちが次々と鬼にされてゆく恐怖が描かれ、そこから意外な事実が判明する。続く「怖い映像」は、何気なく観ていたテレビのCMに訳のわからない激しい恐怖を感じた男が、そのルーツを探り、その行為が思わぬ結果を招いてゆく。三つ目の「花の軛」は好きになった女性がストーカー被害に遭っているのを知った男がそれを阻止しようとして、絶望を味わう。四つ目「零点透視の誘拐」は、人気お笑い芸人の娘が誘拐され、犯人の指示どおり動いていたにも係わらずそれが意外な展開になり、裏に隠された真の動機があばかれる。そしてラスト「舞台劇を成立させるのは人でなく照明である」で、以上の四つの物語の中に隠された真実が姿を現す。
ぼくは竹本健治のいい読者ではないので、彼のゲーム三部作は読んでないし、天野不巳彦という精神科医も本書ではじめて知った。はっきりいって、ここで最後に明かされる真実にはさほどサプライズは感じない。落ちつくところへ落ちついたなという印象だ。それより、このラストの訳のわからないタイトル(訳のわからないタイトルといえば、本書のタイトル自体読了したいまでもよくわからないのだけれど)が、そのままの演出で進行してゆく奇妙な感覚に驚いた。オビに書いてある論理×幻想という文句もあながち間違ってはいないなと思った。
それぞれの短編は、的を外さない。それぞれの役割を全うして美しい。テイストを変え、尚且つ物語の着地点を予想外の方向へ導いてゆくところなど、なかなか素晴らしい。だから、最後の全編通しての真相云々はあまり重要ではない。いってみればオマケみたいなものだ。ぼくは、そう捉えた。こういった形式のミステリでは若竹七海「ぼくのミステリな日常」や加納朋子「ななつのこ」などが有名だが、先にも書いたとおり本書はあそこまでの水準ではない。しかし、この適量とおもしろさからして、竹本健治を初めて読むという読者にも格好の書なのではないかと思うのである。