ウィンターソン作品はこれで三冊目である。衝撃の出会いとなった「さくらんぼの性は」も彼女のデビュー作である「オレンジだけが果物じゃない」も、頭から煙が出てしまうくらい興奮して読んだ。それくらい彼女の作品には首ったけなのだ。
彼女の作品の魅力を語ろうと思えば、おそらく本が一冊書けてしまうに違いない。それくらい多様で、言及すべき事柄にあふれているのだ。たぶん、こうやって三冊の本を読んできたぼくにしても、彼女の作品に隠されている数多くのたくらみをすべて回収してる自信はない。それほどに奥深く、隠喩に満ち、行の背後に潜む解釈が多いのだ。だからといって、難解なわけではない。これは訳者である岸本佐知子さんによるところが大きいのだろうが、書かれている文章は非常に平易でわかりやすいし、切り取られた場面が頭に入りにくいということもない。
だが、彼女の描く世界は寓意に溢れているのである。その感覚はかのティム・バートンの作り出す世界にも類似して悪夢的でさえある。それが作品世界に共鳴し、独特の雰囲気を醸し出す。そして、そこから紡ぎだされる物語は、反復と進化を繰り返し読む者の頭の中に長く居座るイメージを構築するのである。
本書で語られるのは盲目の灯台守に引きとられた孤児シルバーの物語だ。だが物語を司る灯台守ピューが毎夜語る百年前の物語「バベル・ダーク牧師の数奇な人生」が侵蝕してき、やがてダークとシルバーの物語が交錯して、語り手がピューからシルバーに変わり、話はどんどん加速していく。
物語を物語るという行為は、世界の創造にも似た崇高で確信犯的なたくらみに満ちている。そこには、愛の物語もあるし、裏切りの物語もあり、喜びの物語もあれば、失意の物語もある。そして、ただ一ついえることは、物語には決しておしまいがないということなのだ。
『物語るという行為で人は救われる』というメッセージを発信し続けているウィンターソンの、これは再生の物語であり、真実を求める物語でもある。短い話ではあるが、やはりどこをとってもウィンターソンの描く世界が満喫できた。やはり、ウィンターソンはいいなぁ。これからもずっと読んでいきたい作家である。