語りは主人公ケマルのものなのだが、物語半ばでオルハン・パムクが登場し、この本は彼が書いていることがわかる。また、ケマルが私設博物館を創設して、そこに愛するフュスンゆかりの品を展示していることもわかってくる。しかも、読者はそこを訪れてケマルが説明するゆかりの品を鑑賞していることにもなっている。そう、本書は過去を振り返っているのである。すでに事は終結している。それは悲劇で終わり、ケマルはそれを乗り越えていまはすべてが落ち着くところに落ち着いているのもわかる。
さらに驚くことに、本書は現実と物語世界がリンクしており、イスタンブールのチュクルジマ地区に実在する無垢の博物館を訪れることもできるのである。え?実在する?そうなの?知らなかったー!!で、調べてみたら、ほんとにあんの!Googleマップでトルコのイスタンブールを見にいくと、すぐ見つかるんだもの驚いたー。
それはさておき、上巻でなんか引くわーという感想しか得られなかったのだが、こうしてすべて読了したいまもそれは変わらない。一切共感が得られなかった。ていうか、なにしてんの?という疑問符が終始つきまとっていた。決して、傑作純愛小説とは思わないし、ケマルだけではなくトルコの男性一般もなんだかなーって感じだし、長い物語でもあり、なんとなく親しみはあるんだけど本質の部分では受け入れられなかった。しばらく、この人の本は読むこともないかなと思うのである。
こんな感想、ぼくだけなんだろうか?文庫のオビのいとうせいこうも、金原ひとみも言っていることまったく理解できないんだけど。無垢?破綻じゃないのか?これは『破綻の博物館』じゃないのか?