読書の愉楽

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キム・ヘジン「娘について」

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 母と娘。答えはでないままだ。結局、『普通』という曖昧で肯定とも否定ともとれるなんとも形容しがたい概念にとらわれて、母は娘を受け入れることができないままなのだ。

 母は多くを求めているわけではない。ただ『普通』に娘に結婚して、子どもをもうけて、ささやかながら幸せな家庭を築いていって欲しいだけなのだ。普通?何が普通?いったい普通って何?

 『普通』って、世間一般ということ?世間一般の総意としての絶対数を獲得する行為ということ?それはつまり世間体を気にするってこと?娘は、この母が望む『普通』の、世間体を考えた体面を重んじる行為に反した世界に身をおく。それは同性愛だ。

 誤解してもらっては困るが、それはぼくの考えではない。ぼくはもう少しリベラルな考えで生きている。話は逸れるが、実際のところ我が子が同性愛者だということがわかったとしても、それを否定するつもりはない。それがその人の生き方なのだから、ぼくは受け入れる。そこで世間体がどうだとか、普通の幸せがどうだとかいう話を持ちだすつもりはない。

 そこでさっきの問いにかえってくるのである。いったい『普通』って何?普通がいいのか?普通が幸せなのか?本書に登場する母は、それを全否定する。それとは同性愛だ。なぜなら、それは彼女の考える『普通』の行為ではないからだ。本書の語り手が母であることと、ぼく自身の年齢的な関心からぼくは、母視点でしかこの物語を語っていない。それを思うと、若い時に読めば、また受けとり方が違ったのかなと思ったりもする。本書の中でどうしても娘の存在は異端となってしまっている。そういう見方しかできない者の視点で話が進行するから仕方ないのだが、ぼくはそこに存在する苦悩を心底から理解できなかった。本人たちが幸せなら、それでいいんじゃないの。

 実際、自分がそういう境遇に身をおいてないから、いい加減なことを言ってと怒られるかもしれないが、ぼくはそう思うのである。そうそう、さっきからぼくは本書が内包する一つの側面からしか物事を語っていない。それは意図したこと。気になった方は実際に本書を手にとってみていただきたい。ここには現代の韓国の諸相が映し出されている。ま、それは韓国に限ったことではなく、現代が抱える世界の諸相でもあるのだが。