読書の愉楽

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大崎善生「いつかの夏  名古屋闇サイト殺人事件」

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 日常が何事もなく過ぎてゆく幸せ。いつも側にいる人が、相変わらずそこにいる幸せ。喧嘩をしたり、もどかしい思いをすることがあったとしても、その人がそこにいるということが続いてゆく幸せ。そういった幸せは普段意識することはないし、だれもがそれをあたりまえだと思っている。親が、子どもが、兄が、妹が、今日も家に帰ってくるということが突然絶たれる恐怖。それは、自我が崩壊しそうなほどの恐怖だ。本書はその恐怖を目の当たりにするような衝撃をもっている。


 2007年の夏、闇サイトを通じて知り合った三人の男が、金目当てで一人の女性を拉致し、無惨に殺害した事件、世にいう『闇サイト殺人事件』は、ぼくも記憶に新しい。本書はその事件の全容を描くだけでなく、被害にあわれた磯谷利恵さん(当時三十一歳)のそれまでの人生も掘り下げて描いたノンフィクションだ。


 なによりもまず断っておきたいのが、奪われた命に値する償いなどないということだ。本書の後半で捕まった犯人たちの公判がおこなわれ、遺族側は犯人たちを死刑に処すよう署名活動をするのだがたとえ望みどおりに極刑になったとしても殺された娘は戻ってはこない。その事実は変えること叶わない。昔のように仇討できたとしても、その無念はけっして晴れることはないだろう。殺されたから殺すではないのだ。


 ひとりの人間の人生を無理やり終わらせるなんて。昨日まで一緒に生活していた娘が、冷たくなって変わり果てた姿で帰ってくる恐怖はどれほどのものだろう。ぼくには想像できない。想像したくない。想像することすら忌まわしい出来事だ。


 本書の第九章「一夜の出来事」で描かれるあまりにも凄惨な犯行の場面は、磯谷利恵さんのそれまでの生涯を追体験してきた身としては、嗚咽をもらさずにはおられなかった。どうして彼女がこんな目に遭わなければいけないのか。死にたくないのと懇願している女性の頭に思いっきりハンマーを打ち下ろす非道の中で、彼女はたった一人の肉親である母を残して死ぬわけにはいかないと必死に犯人たちに訴えていたのである。


 ああ、神などいない。本書を読んでぼくは思った。もし本当に神が存在するのなら、こんな酷い所業を神が見過ごすはずはない。「殺すなぁ」と必死に声を振りしぼって死んでいった彼女。孤独の日々をくぐり抜け、ようやく愛する人に出会えた彼女。どうして彼女は殺されなければいけなかったのか。どうして彼らのような人間がこの世に存在するのか。ぼくは知りたくもない。