読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

西成彦 編訳「世界イディッシュ短篇選」

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 ぼくは、これだけ色々な媒体でユダヤ迫害について見聞きしてきたにも関わらず、まだその本質を理解していない。その世界が内包する様々な条件、色彩、苦悩、歴史、希望、地理、喜び、痛み、何もわかっていない。大きな出来事の表面だけをなぞって、そこにある痛みだけを汲み取って、すべてをわかったつもりでいた。事実は事実として、それを理解することは可能だ。でも物事は多面的にとらえなければいけない。ぼくには、それができていなかった。

本書は、東欧のユダヤ人作家たちによる短編アンソロジーだ。収録作は以下のとおり。

  「つがい」 ショレム・アレイヘム

  「みっつの贈物」 イツホク・レイブシュ・ペレツ

  「天まで届かずとも」 イツホク・レイブシュ・ペレツ

  「ブレイネ嬢の話」 ザルメン・シュニオル

  「ギターの男」 ズスマン・セガローヴィチ

  「逃亡者」 ドヴィド・ベルゲソン

  「塀のそばで(レヴュー)」 デル・ニステル

  「シーダとクジーバ」 イツホク・バシェヴィス・ジンゲル

  「カフェテリア」 イツホク・バシェヴィス・ジンゲル

  「兄と弟」 イツホク・ブルシュテイン=フィネール

  「マルドナードの岸辺」 ナフメン・ミジェリツキ

  「泥人形メフル」 ロゼ・パラトニク

  「ヤンとピート」 ラフミール・フェルドマン

 見てのとおり、まったく馴染みのない作家ばかり。ま、一生覚えられないだろうね。彼らはイディッシュ語でこれらの作品を残した。ディアスポラとして世界各地に移り住んだ彼らユダヤの人々は自身の存在を確立するために様々な試行をくり返し、ともすれば見失ってしまいそうになるアイデンティティに必死ですがりついていた。

 いったい、自己の在り方を問う生き方とは、どんなものなのか?上記の作品群を、彼らユダヤの人々とかけ離れた存在であるぼくが読んでみると、そこにはぼくがいた。描かれている世界は別世界なのに、そこには確かにぼくと同じ人々がいたのである。しかし、ディアスポラとして広範囲に散らばってしまった彼らの本当の意味での故郷はない。寄って立つ本当の生を営むべき地はないのだ。

 ああ、いったい歴史の刻まれてきた自身のルーツを辿ることのできない身の上とはどんなものなのだろう?だから、ぼくは彼らのことを本当に理解することはできないのだろう。迫害と共に歩んだ歴史。疎外感。しかし、人間はどんな状況でも力強く精一杯生きていこうとする。その精神は光り輝いて素晴らしいものだ。その営みはどんな国でも、どんな種族でも、どんな色の人種でも同じものだ。たとえ、すがり信じて信仰する神が違ったとしても。