読書の愉楽

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ケヴィン・ウィルソン「地球の中心までトンネルを掘る」

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  タイトルをみてもわかるように本書も『普通』じゃない世界を描いている短編集なのだが、昨今のアメリカ作家の短編にはこういう傾向の作品が多いし、ぼくもそういうのが嫌いじゃないし、ていうかむしろ好きなほうなのだけれど、本書は奇妙でありえない世界を描いていながらも以前読んだ『普通』じゃない世界を描いたアメリカ作家たちの作品とくらべてみれば、いたって真面目な印象を受けて少し物足りない気がした。

 

 たとえばジュディ・バドニッツアメリカ南部のトールテールに連なるまったくもって巧妙な法螺話をつむいで、奇妙で、残酷で、刺激的な世界を垣間見せてくれたし、エイミー・ベンダーは奇妙で、ある意味グロテスクともいうべき事象を描きながらも、そこに都会に住む人や自分を見失った人の切実な孤独感を浮き彫りにし、読む者に痛いほどのせつなさを味わわせて奇妙でありながらも、現実世界にはびこるリアルな感情を直球でぶつけてきた。ミランダ・ジュライの短編においては、新鮮な驚きと小憎らしいほどの可愛さと、儚い痛々しさにあふれており、触れればパチンとはじけてしまうような危うい均整を保ちながらも、おそろしく大胆不敵に挑発を繰り返すような作品群だった。また男性作家に目を向けてみれば、ミュータント犬が登場したり、口からカエルを産んでしまう少女がいたり、犬と交わり子どもをつくったりと節操がないけど、そんなグロテスクな事柄がまるで当たり前の出来事のように感じられて、それが語り口の平易さゆえかそれとも奇を衒うことない演出のせいか、すんなりと受け入れられてしまうという驚異のアーサー・ブラッドフォードや、奇妙な世界や出来事を装置として巧みにストーリーに練りこんで、独特の感性をまぶして描くアダム・ジョンソンなど、いままでぼくが読んできた奇妙な世界を描くアメリカの作家はどれも個性的で一読忘れがたい印象を与えてくれたが、本書のケヴィン・ウィルソンはそういった奇妙な設定で物語を紡ぎながらも、妙に真面目で突きぬけた感が少なく少し物足りなかった。

 

  本書に収録されているのは11編。タイトルは以下のとおり。

 

 ・「替え玉」

 

 ・「発火点」

 

 ・「今は亡き姉ハンドブック:繊細な少年のための手引き」

 

 ・「ツルの舞う家」

 

 

 ・「地球の中心までトンネルを掘る」

 

 ・「弾丸マクシミリアン」

 

 ・「女子合唱部の指揮者を愛人にした男の物語(もしくは歯の生えた赤ん坊の)

 

 ・「ゴー・ファイト・ウィン」

 

 ・「あれやこれや博物館」

 

 ・「ワースト・ケース・シナリオ株式会社」

 

  
 数ある中で一番気に行った作品はといえば、本書の中でも普通設定の「ゴー・ファイト・ウィン」だった。これはかわいいけどもあまり行動派ではない女子高生が主人公で、それを危惧した母親が転校を機に学校生活をエンジョイできるようにとチアリーディング・チームに入るようにすすめたため、本来の自分を殺した学校生活を明るい孤独の中で過ごすことになるが、家に帰ると近所に少し風変わりな男の子がいて、次第に彼女はその子と心を通わせるようになる。勝ち組のグループの中で自分を偽って 生きてゆく苦しさと痛み。心の拠りどころとなる少年との交流。物語の結構はありきたりかもしれないが、この作品が一番心に響いた。

 

 その他、代理祖父母派遣会社や、両親を人体自然発火現象で亡くした青年や、遺産の相続を折り鶴をつかったゲームで決める話や、眉間を銃で撃つ見世物や個人のガラクタを展示する博物館などなど奇妙で変った世界が描かれる。しかし、総じてこの人の描く人々は寂しさに支配されている。そして世界は奇妙でありながらも規律に支配されている。それがダメだとはいわないが、いままで読んできたアメリカの作家たちが描く奇妙な世界たとえばジュディ・バドニッツみたいにはじけて、エイミーベンダーみたいにねじれて、ミランダ・ジュライのようにキュートになって、アーサー・ブラッドフォードやアダム・ジョンソンみたいに突き抜けちゃってほしかったと思ってしまうのである。

 

 でも、第二弾が出ればまた読むだろうな。