読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

短編小説の愉楽

 短編集が結構好きなのである。短いストーリーの中で発揮される鮮烈な悦び。それはストーリー自体のおもしろさでもあり、短い中での構成の巧みさでもあり、切り取られたシーンの印象深さでもあったりするのだが、とにかく短編にはコンパクトな中に凝縮された限りない宇宙の可能性が感じられて目が離せないのである。

 確かにじっくり腰を据えて取り組まなければいけないような長編にも抗いがたい魅力はあるし、またそれがダイレクトな小説を読む悦びにも繋がっているのだとは思う。しかし、短いページの中で躍動する無数の世界には、映画を愉しむような気軽さとそれと反比例するかのような心に残るシーンや短さゆえの効果が相まって独特の魅力にあふれていると思うのである。

 ここ何年もの間、英米文学を筆頭に数々の傑作短編集が刊行された。ぼくなりに取捨選択をして色々読んできたわけなのだがここらで一度、綺羅星のような短編集をまとめて紹介しておこうかと思った次第。

 まず、ごく最近読んで感心したのがミランダ・ジュライいちばんここに似合う人」。この人の描く世界は正直歪んでいる。正統とは対極に位置する地点から発信される物語は、それゆえに異端と非常識の微妙な境界をウロウロしながら、こちら側にいる我々に奇妙ながらインパクト絶大のお話をきかせてくれるのである。だが、その世界は非常にチャーミングなのだ。辛くて、厳しいことが描かれていてもそれを逆手にとった魅力にあふれていてさらに挑発的なのだ。この人の感覚に似ていて、さらに突き抜けた印象をあたえるのが「燃えるスカートの少女」のエイミー・ベンダーや「空中スキップ」のジュディ・バドニッツだ。彼女たちの短編のどれか一つでも読んでみれば、その魅力にたちまちとらわれることだろう。逆に、そういった奇妙な設定を使わずに、違うアプローチで心の痛みを描くのがジュリー・オリンジャーだ。彼女の「溺れる人魚たち」という短編集には痛みで心から血を流し続けている少女たちが多く登場する。エイミー・ブルームの作品もこの感覚に近いかもしれない。彼女も「銀の水」という短編集で『アメリカの悲劇』を描いてみせた。軽く読めてしまうのに扱われているテーマはとても重たい。こういう書き方ができるというのは、ほんと素晴らしい才能だと思うのである。

 女性陣ばかり紹介したので、ここらで男性も。奇妙な設定で読ませる男性作家といえば、アーサー・ブラッドフォードだ。彼の「世界の涯まで犬たちと」にはミュータント犬や口からカエルを産む少女が登場する。なんじゃそりゃと思っちゃうでしょ?でも、これがすごく読ませるからほんと小説っておもしろいんだよね。そういえば、一発屋になってしまったのかもしれないがアダム・ジョンソンの「トラウマ・プレート」も奇妙な世界をとても魅力的に描いた作品集だった。この人の作品はもっともっと読みたいのだがどこか出してくれないかな。そうそうダン・ローズの「コンスエラ 七つの愛の狂気」にも凄まじい作品があった。この人もかなり変わった作家で、邦訳デビュー作の「ティモレオン」という長編なんか、ラストのあまりの衝撃に、読んだ誰もが頭を殴られたような驚きを感じることだろう。

 ここからはもっと文学畑寄りになってくるけど、とびきり素晴らしい短編集を続けてご紹介。まず、これはぼくの中では至宝だと思っているのがアリステア・マクラウドの諸作品。「灰色の輝ける贈り物」「冬の犬」どちらを読んでもその素晴らしい筆勢にため息が出てしまうことだろう。自然の厳しさ、家族の温かさ、時代の趨勢、そして故郷を追われた流浪の民としての悲哀。哀切に満ちて叙情にあふれた世界の中で朴訥で、頑固で、しかし情にあつい人々が織りなす、なんでもないのにとてもドラマティックな日常。ほんとうに素晴らしい作家なのだ。素晴らしくて至宝的存在といえばジュンパ・ラヒリも忘れてはいけない。この人の「停電の夜に」を初めて読んだときは、そのクールでいて謙虚で逞しい筆勢に圧倒された。

 世代や国境などを越えて誰もが感じる普遍的なテーマを、尊大ぶらず、あくまでも普通に描いていき、積重ねてゆく。軽々とこなすので、とても簡単そうに見えるのだが、それはとても難しいことなのだ。

 と、ここまで書いてきて非常に長くなってしまったことに気づいた。まだまだネタは尽きないのだが、今回はここらへんで終わりにしようと思う。ウィリアム・トレヴァー、マーリオ・リゴーニ・ステルン、フランク・オコナー、ディヴィッド・ベニオフ、カズオ・イシグロフラナリー・オコナーブッツァーティマルケス、フォークナー、・・・・・・・etc。

 そう、まだまだ一杯いるのだ。でも、今回はここまで。また気が向いたら、記事にしてみよう。