読書の愉楽

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綿矢りさ「かわいそうだね?」

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 本書には二編収録されている。表題作は、元カノが彼の部屋に居候するという、なんとも奇妙な状況におかれた女性が主人公。どうして別れたはずの女が彼と一緒に暮らしているのか?常識的に考えれば、それはありえない話だ。愛情とか、嫉妬とか以前のモラルの問題だともいえる。だが、それも様々な条件が加われば、また別の側面を見せてくる。主人公である樹理恵は、百貨店に勤める28歳。友だちに誘われたバーベキューパーティーでいまの彼、隆大に出会った。父親の仕事の関係で子どもの頃からアメリカに渡り、大学を出、生命保険会社に勤めたが、なんらかの事情で日本に帰ってきて再就職した隆大は、ずっと日本を離れていたからまだ日本語がたどたどしかった。樹理恵は、黙々とバーベキューを焼いている彼の朴訥さに大人びた安定感をかんじ、急速に惹かれてゆく。しかし隆大にはアメリカ時代に付き合っていたアキヨという女性がおり、いまは別れているが一緒に日本にやってきた彼女は就職できずに、住んでいたアパートを追い出されてしまい、それを見かねた隆大が無期限で彼女を自分の部屋に住まわせる事にしたのだ。

 

 アメリカと日本の文化の違いや、行動原理の違いがあり、そこに復縁や未練なんていう生臭い情念が渦巻いているのではと考えてしまうのは、日本人特有のものと割り切って考えることができない樹理恵は、彼の愛と無償の温情をを信じながらも常に地雷原を歩いているような危機感をもっている。自分の心が狭いのか?海外では、こういう事は当たり前なのか?真摯な彼の態度をみていると、攻める言葉も控えめになってしまう。自分一人では処理できる問題ではないと、いろんな人に意見をきくが、結局最後は自分自身の心の有り様と向きあわねばならなくなってしまう。

 

 信じる心と正直に向きあう勇気を振りしぼっていた樹理恵は最後にある行動に出る。どっせい、どっせい、遠くから聞こえてくる言葉。どっせい、どっせい。保たれていた天秤がここで一気に傾いてしまう。
 
 次の「亜美ちゃんは美人」も妙な緊張感の漂う作品。こちらは女性同士の友情を軸に描いているが、とびきりの美人の友を持つことになった女性の複雑な心情が描かれる。こういうシチュエーションってよくあるよねと思いながら読んでいると、自分のカテゴリーの狭さに驚いてしまう。

 

 ここで描かれるのは、女性同士の陰湿なやりとりや妬みなどに起因する建前と本音の話ではなく、奇妙で歪んでいながらも信じることのできる女の友情なのだ。

 

 主人公であるさかきちゃんは美人。でも亜美ちゃんはもっと美人。二人が並んで歩くと、さかきちゃんは亜美ちゃんに光を吸い取られ、Aのそばに張りつくAダッシュになってしまう。高校時代から、社会人になるまで、この二人の動向が描かれる。なかなかの美人でありながらも、亜美という絶対的な美の前に常に添え物の役目を担わされるさかきちゃん。まわりの人々は亜美ちゃんがお姫さまであり、選ばれた人であり、世の中に知れ渡るすごい存在になると信じて疑わない。

 

 亜美ちゃんは、さかきちゃんに絶対の信頼をおいて接する。彼女の言うことは素直に聞き入れ、そのとおりにする。亜美ちゃんはさかきちゃんが大好きなのだ。その上、亜美ちゃんはさかきちゃんが自分の影に入って二番手に甘んじているという事実を認識していない。いわゆる天然?自分の及ぼす影響がどれほどのものかという事をまったく理解していないのだ。彼女たちはこういう関係性を保って成長してゆく。

 

 そこに緊張が生まれる。ここにも微妙な均整を保つ見えない天秤がある。いつ傾いてしまうのか、読者は気が気じゃない。

 

 また、亜美ちゃんが辿る道が破滅に向かってゆきそうで、そこにも緊張が生まれる。いったい、この物語の行方はどうなるのか?
  
 短い作品だしすぐ読めてしまうが、相変わらず綿矢りさのしたたかさに舌を巻いてしまうのである。あらためて断っておくが、ぼくは綿矢りさが美人だから、彼女の本が好きなのではないのだ。それもファンである重要な要素ではあるが、ぼくは心底彼女の書く小説に敬意をおぼえているのである。だから、これからもどんどん彼女の本を読んでいこうと思うのである。