本書の素晴らしいところは、著者であるビネが歴史を掘りおこすにあたって、あくまでも史実に忠実であろうとした点だ。確かに過去の出来事は、自身がそれを体験した以外のことはすべてフィクションだといってもいい。なにしろそれを自分の目で見てないのだからそこには無限の想像の余地があって、真実を覆いかくしてしまう危険性はまさに無限大だ。およそ自身が体験したことであってもそこには創造された記憶が介入して真実を捻じまげてしまうことさえある。ゆえにかつて起こった出来事を忠実に語ろうとすれば、そこには数えきれない落とし穴があちこちにあるのだ。
といったことを踏まえて本書の感想に入りたい。ここで語られるのはナチスドイツにあって『金髪の野獣』、『第三帝国で最も危険な男』という異名とともに内外から恐れられていたユダヤ人虐殺の首謀者でもあるラインハルト・ハイドリヒ暗殺の顛末である。ビネはこの歴史的事実を一冊の本にまとめるにあたってさまざまな文献をあたり、数多くの映像化作品を観てあらゆる角度からこの事件の過程を発端からその後の余波まで詳細に偏執的なまでに組み立てていく。そこにはどうしても当事者しか知ることのできない事実や、色や、匂いがありビネはそれを創造で補うことをいっさい認めない。おそらくそうであったであろう事実はできるだけ排除して史実を忠実に正確に描くことに情熱を傾ける。また同時にその書き方についても常に悩み、後戻りし、正直に心情を吐露してゆく。もちろんビネにも日常の生活があり、それは毎日積みかさねられ歴史となって足跡を残してゆく。
読者はそれを真っ向から見すえてゆく観客だ。この変格的でありながら斬新な手法は、奇妙な臨場感をあたえてくれる。あたかもそこにいたかのような高揚感、息遣いや匂いまでもが漂ってくる興奮、確かにそのときぼくもプラハのホレイショビツェ通りにいた。そしてレッスロヴァ通り近くの教会にある地下納骨堂で荒い息をたて最期のときを待っていた。外の地上には七百人以上のナチ親衛隊がいた。
ビネはフランス人だ。彼はスロヴァキヤに兵役で赴任したことがある。彼はそのときにこの襲撃事件(類人猿作戦)のことを知り、次第にのめり込んでゆくことになる。彼が本書を執筆するにあたってあくまでも真摯であり続けたその根源には、チェコの刺客としてプラハに降り立った二人の青年とそれを取り巻く人々、ひいてはナチスによって命を奪われた1000万人ものユダヤ人たちに対する敬意が最上の形であったのだ。 歴史に名を残した人々、そして歴史に登場しながら世に知られることなく尊い命を失っていった数多くの名もない人々。すべては本当にあったことなのだ。